管理職から型どおりの慰留

早期退職が決まるまでの経過(2012.6.19)
  
 管理職(校長や教頭)の説得に応じて、退職の希望を無しに変更するつもりもなかったのですが、ほんの少しですが、管理職から退職を思いとどまるような話が来ることを期待する気持ちもありました。

 それは自分自身の仕事に対する一種のプライドかもしれません。つまり退職の意志を表明しても、誰も引き留めようとする人がいなければ、それはそれまでの仕事で自分自身に存在価値がなかったという証明になるわけです。

 もっと嫌な見方をすれば、「やめてくれてありがとう」、と言われているような気にもなります。

 9月下旬、調査の書類を袋に入れて黙って提出。その場で話し合う方法もあったのですが、まあ管理職の都合もあるだろうし、必要に応じて呼び出され面接が行われるだろうと思っていました。

 10月はこれまで通り、淡々と仕事を行っていましたが、その間自宅では家計簿の作成を行い、さらに退職後の生活設計を考えていました。アフィリエイトに関心を持って調べ始めたのもこの頃です。

 11月に入り管理職と面接。さすがに退職の希望があることを知り驚いたようで、「考え直せないのか?」と聞いてくれました。(だったらもっと早く対応すればと言いたくなりましたが)そこで私の妻の病気の経過や現在の家庭の状況、私自身の健康状態を説明しました。

 正直なところ、当時私は56歳でしたが、管理職(校長)の年齢もほぼ同じで、職務的には指示指導を受ける立場ですが、ものの考え方や教育に対する方針と言ったことに関しては、知識量にそれほど差が無く、さらに人生経験まで含めると私の方が苦労しているのではと思えました。

 立場を変えればそれなりの苦労があったと思いますし、性格が悪い人でもなかったのですが、身内との別れや、自身の健康状況、家庭生活という意味で、現状の私の立場を理解できそうもないなあと感じてしまう人でした。

 その意味では、相談するという雰囲気でもなく、退職の意向を再確認するという話になってしまい、ある意味若干の寂しさを感じたことは事実です。

 その後教頭も説得に現れましたが、この方は私より年下で、2年間ほど私が教務主任として仕事を分け合ってきた人です。

 しかし、さすが教頭さんはすごい、と思えるような人でもなく、説得も通り一遍のもので、あまり説得力を感じませんでした。型どおりの説得をしたという感じです。

 もとより私自身の希望がある程度はっきりしていたこともあり、説得は難しいのではないかという読みがあったのかと思います。

 それでも最終的には12月初めの最終締め切りまでにもう一度熟慮してください、と言うことで教頭さんとの話し合いも終了しました。

 管理職との話し合いで、私の退職希望は6:4から7:3ぐらいに比率が変わりました。理由ははっきり書いてしまうと、この管理職の元で働いていても、仕事を押しつけられるだけで、自分の健康を害する可能性が高まったなという感覚です。

 そこで管理職の意向とは裏腹に、間際になってから慌てるのは嫌なので、退職の事務手続を始めることにしました。事務にはすでに私の意向が伝わっていて、まず最初に渡されたのが、退職金の申込書と退職願でした。11月下旬のことです。  


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