柔軟性のない息苦しい社会

批評、批判、揶揄、中傷といったニュースの増加(2016.8.22)

 私が今このブログを書いているパソコンは、息子から譲り受けた、もともとはウインドーズ7のディスプレイ一体型のパソコンです。しかしご存知のようにマイクロソフトから、今なら10にアップグレードできるからという要請?若しくは勧告?お勧めがしょっちゅう来るようになり、どうせならと思い、アップグレードしました。

 スペック的に不安な部分もあり、ダウンロードやインストールにかなり時間もかかり、一時はどうなることかと不安だったのですが、無事インストール完了。

 こういう時のためにと思い、主要ファイルは外付けのハードディスクで管理しているので、万が一本体が動かなくなっても、別のパソコンを使えばデータは保存されると思っています。

 それはそれとして、10になって最初に「あれ?」と思ったのがインターネットエクスプローラーがなくなってしまったこと。それっぽいマークをクリックすると、これが「エッジ」というソフトで、これがマイクロソフトの新しいブラウザーのようです。

 それはそれでいいのですが、このエッジのホームマークをクリックすると、MSNニュースがざらざらと表示されます。「へえ〜便利な機能だな」と思ってみているのですが、ここのところ特にエンターテインメント系の内容が非常に低劣に感じます。

 最近の話題はオリンピックとSMAP解散、ベッキーさんあたりが多いのですが、客観的な内容ではなく、特定の芸能人が、こういった特定の芸能人を面白おかしく、批判、批評、揶揄、皮肉、場合によっては中傷するような記事が多い。

 自分を明らかにしているだけ、匿名性の強いツイッター等のSNSよりはいいのかもしれませんが、要するに自分の意見や考えとちょっとでも違うと途端に、本人の意向も考慮せず、自分の価値判断であれが悪い、これがよくないと批評しています。

 それに触発された一般の人も多いと思うのですが、まあ本人は感想という意味で発言しているのかもしれません。しかし、受け取る側から見たら、批判や中傷としか感じられないのではという気がします。

 相手の立場を尊重しながら自分の考えや感想を述べるというのが、以前の対面が主体になる議論だと思うのですが、相手が目の前にいないと突如攻撃的になるという風潮は、どうも行き過ぎだぞという気がします。

 世の中にはいろいろな立場の人がいて、いろいろな考え方、生き方をしているという認識が、意見を述べる最初の出発点になると思うのですが、どうもそうではなく、選択肢はイエスかノーの二つだけであって、自分側に立たない人の意見は一切認めないという風潮を感じます。

 文字だけの一方通行のやり取りなのでしょうがない部分もあるとは思いますが、何かに対して「こうでなければならない」と考える人が増えると、硬直した柔軟性のない社会になってしまうのではと不安です。

 特にこれが庶民レベルで収まっていれば、実害は当事者だけになりますが、政治レベルになったら問題だろうなと思います。我が国の方針はすべて正義、と考える国が増えれば、必然的に紛争が生じるような気がします。


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