最低限の生活が確保出来たらその先は?

2017.3.20

 今日も朝7時に起きました。体操をやって朝食。昨晩作った里芋の煮物がおかずです。その後はいつものように旅行ブログの更新。と言っても旅行に出かけているわけではないので、日本にいながらハワイやバンコクの現地に思いを馳せてまとめています。

 5月にハワイに行こうと気合を入れて頑張っていましたが、先日の水戸1泊旅行で予想以上に疲れを感じて、これじゃあ5月にハワに行っても現地で自由に動き回って楽しめないぞと確信。

 とりあえず7月以降まで二か月ほど延期しようと思っています。その間に自宅周辺のウォーキングを行い、歩き回ることに体を慣らす必要があるなと感じました。

 というわけで、5月の予定が空いたので、ハワイがだめなら国内旅行にしようかと思い、かねてより行ってみたかった名古屋(親戚がいます)から南紀に行ってみようかと思っています。

 行くのは車になると思うので、要するに海岸沿いをドライブして、面白そうなところで下車、美しい海の景色とおいしい海産物を堪能したいという事です。

 ついでに、伊勢神宮や那智の滝、潮岬あたりを見てきたいと思っています。国内の場合は思い立ったら、ちょっと楽天トラベルで空いている部屋を探して予約。かなり気楽です。

 一方息子は今日から友達同士で沖縄に向かいました。羽田までの道順、搭乗手続き、飛行機の予約、ホテルの予約等については全くアドバイスをしていません。

 友達同士で決めているようです。私も学生時代旅行はしましたが、私の時代には飛行機による旅行はほとんど考えなかったですね。時代は変わったなとつくづく思います。

 そのうえで、何も言わなくても旅行計画を作って予約し、その通りに旅行ができる実行力もいつのまにかついたんだと、親としてはちょっとうれしいです。(単なる親ばかとも言いますが)

 ところが息子がいない家というのは、なんとも張り合いがない。いても食事時以外ほとんど会話は交わしませんが、そこにいるという存在感は大きいですね。

 そう考えると、やがて息子が一人立ちをして、私だけがこの家に取り残される、若しくは息子がこの家を引き継ぎ、私が施設に移り住むという日が来ると、実に寂しそうだなという気がします。

 実際にそうなるとは限りませんが、その可能性が大きいと考えると、普段からの息子との接し方もちょっと反省すべき点があるのかもしれません。

 家族が揃って年老いて、一番年長者から順にいなくなっていくというのが家本来の自然の形だと思いますが、核家族化した日本の家庭は、そういった自然の流れが断ち切られてしまいました。

 今後高齢化が進めばこの傾向はますます顕著になり、一人住まいも増え、コミュニケーションがほとんどなくなってしまった老人世帯が激増するような気がします。

 暖かくなってきたせいか、気持ちは前向きになっているのですが、息子がいないという寂しさについて考えていたら、ちょっと気持ちが落ち込みました。

 年金生活に入り、昨年から老齢年金も繰り上げた関係で日常の生活は、質素に暮らしていれば問題はないという見通しが立っています。

 健康についても、大病はしましたが、以後かなり気を使っていますので、今のところ若干のふらつきと時々早口でしゃべるとろれつが怪しくなることを除けばまずまずの状態です。

 つまり金、健康の問題は今のところ問題なし。ではその上で、豊かで張りのある、ときめきを感じるような老後の生活はどうあるべきなのか?難しいですね。老後の最大テーマだと言えそうですが容易に結論は出ないような気もします。


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