生きる目的を見失っているシニア

2019.5.24

 6時半に起きて朝食はご飯。おかずは昨晩作った豚肉の生姜焼きの残りと、これまたコロッケの残り。スーパーで売っていた揚げるだけのコロッケを買ってきたのですが、割とおいしかったです。

 ただその昔、市井の肉屋さんの店頭で食べた揚げたてのコロッケの味の記憶には適いません。スーパーの総菜コーナーでもコロッケは販売されていますが、正直コロッケだとは思いますがおいしさの点では記憶のコロッケが勝っているのであまり買いません。

 大根葉の味噌汁を飲んで食後にリンゴを1個。息子の出勤を見送って今日は可燃物のゴミ出し。大きな袋を持って外に出ると何やら暑くなりそうな気配。

 家に戻っていつものようにバンコクブログ、ハワイブログの更新。10時半ごろ一段落したので、いつも通り市民農園へ。明後日からハワイに行く予定で、1週間ほど手を入れられないなあと思いながら狭い畑を見て回ります。

 大きくなって食べる暇がないサニーレタス、ようやく実をつけ始めたキューリ、もうすぐ収穫だろうと思われる玉ねぎ、その他ジャガイモやトマト、ナス、ピーマンの面々を見てまわり、最後に青梗菜を収穫。

 帰宅したら11時ちょっとすぎだったので、今度はバンコク関連のホームページの修正作業。ネットをスマホで見る人が多くなった関係で、それに合わせて画像の大きさを少し大きくしています。

 作業中にふと時計を見たら12時15分で、朝と同じようなメニューで昼食。食後はスーパーへ。明後日から出かけるので、冷蔵庫内にあまり食品を残したくないなと思いつつスーパー内を巡回。

 今日は青梗菜を使ったホイコーロー(日本ハムの中華名菜シリーズを利用)と、オージービーフの牛ステーキ?の予定。帰宅してちょっと昼寝。起きたら3時15分。ネットに接続してこのブログの更新作業です。

 ちなみに今日の朝息子が出がけに、スマホでネットの情報を見て、「60代の人は、生きる目的がない人が多いの?」と聞いてきました。

 「いやそんなことはないと思うよ」と答えたものの、試しに今、「シニアの生きる目的」という検索語句でネットを見ると多数のページがヒット。

 生きがい、生きる目的、生きる方法、生きる目標等々、実に多様な語句が並んでいますが、これだけのページがヒットするということは、やはり「何をしたら良いか分からない」と考えている人も多いのかも。

 そしてその回答は、検索されたページの説明文を読むと「人生を楽しむ」「アクティブに」「起業する」「情熱を持つ」「目的さえあれば」等々これまたいろいろな語句が並んでいますが、実際問題生きる目的が見つからないと悩んでいる人にとっては空疎な語句なんだろうなという気もします。

 現状で、「じゃあこうすれば」なんて言うアドバイスは私には厚かましくて言えませんが、逆に「今自分が生きている目的は?」と自分自身に尋ねると、確かに今現在私にも特定の生きる目的はなさそう。

 こうやって毎日ブログを更新すること、市民農園で野菜を育てること、たまに旅行に出かけること、図書館で借りてきた本を読むこと、日々洗濯や掃除、料理の家事をすること等々がある意味当たり前の生活になっていて、それを楽しんでいるような気もします。

 つまり「生きる目的」なんて大上段に振りかぶって「どうしたら見つかるか?」なんて真剣に考えている暇がない、ということでしょうか。

 とはいうものの「やりたいことが見つからない状態」で定年を迎えて退職してしまった人は悩むかもしれないだろうなという気はします。





弘兼憲史さんの「60歳からの手ぶら人生」


老後の人生観3


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