すべて機械がやってくれたら

便利な生活が思考力を奪っているように思えます(2013.5.31)

 梅雨入りとは思えない良い天気になりました。青空を見ると遠くに出かけたくなりますが、朝から必死に洗濯をしていました。

 我が家の洗濯機は5年ほど前に、それまで使っていた古ぼけた二層式から全自動に変更。信じられないほど便利になったなあという感想を持ちました。ともかく汚れ物を入れて、洗剤を入れておけば勝手に洗って脱水までしてくれます。

 父子家庭暮らしが始まったとき、最初は洗濯なんてどうやるんだと戸惑いましたが、スイッチ一つで出来ることが分かり、本当に助かります。

 思い起こせば、私が小さい頃はタライと表面が波状になった洗濯板なんてのがあって、この中で洗濯物をゴシゴシ洗うなんてことが日常的に行われていたような気がします。

 それが小学生になった頃、電気洗濯機というものが我が家にも導入され、洗濯槽の中で洗濯物が洗剤と一緒にぐるぐる回っているのを飽きずに眺めていた記憶があります。(水がグルグルまわると渦が出来て中央が凹むというのも不思議でした)

 しかし初期の洗濯機は、ドラムの中に水と洗剤を入れてぐるぐる回すだけで、当然脱水機能はついてないので、洗いが終わると、水気を取る必要があります。

 今は脱水槽で遠心力を利用して水をはねとばす構造ですが、当時は二つのローラーに挟んで、その間に洗濯物を入れ、ローラーをぐるぐる回し、無理矢理水気を雑巾のように搾り取るという方法でした。

 これがまた子供心には面白く感じられて、(当時から理系の雰囲気があったのだと思いますが)ローラーを持ってぐるぐる回したことを覚えています。

 隙間から出てきた洗濯物はまるで煎餅のように薄っぺらくなっていて、これをパンパンと叩いて元の形に復元し、洗濯竿にかけるというのが一般的な洗濯方法だったと思います。

 当時の手間暇を考えると、タライなら洗濯だけで1時間、初期の洗濯機なら様々な行程を考えて30分。今は放り込んでホスだけですから10分。時間的にも労働量から考えても格段に便利になっています。

 しかし便利になればなるほど、自分で考えて洗濯をするなんてことは無くなるわけですから、どうしたらもっと洗濯物がきれいに洗濯できるんだろうなんて考える必要がなくなるわけで、そういったことが様々な場面で起きると、徐々に「何故だろう」「どうしたらいいんだろう」と考える思考力が無くなっていくような気がします。

 人間ですから、常に好奇心があり、問題解決のために工夫しようという意欲はあると思うのですが、日常的な生活の中で工夫する余地が少なくなっている現在、自分で考えることが大事だ、なんて学校でいくら教えても、生徒は日常的にそういった環境で生活していないので、なかなか教員の気持ちが伝わらないなあ〜と感じてしまいます。

 最近の日本人は依存心が強くなり、自分で問題解決をする能力が衰えつつあると感じている人も多いと思いますが、もしかしたらあまりに便利になってしまった弊害かもしれないなと洗濯をしながら考えていました。
  
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