「気配りのすすめ」はどうなった?

自分以外の他人の立場に立てるか(2014.3.6)

 千葉県柏市の通り魔事件は、昨晩から容疑者が特定され、一気に解決に向かいつつあるようです。まだ犯人と決まったわけではなさそうですが、証拠の品が自宅から見つかったり、容疑を認める供述をしているということですから、9割方間違いないとみて良さそうです。

 容疑者の年齢は24歳。無職ということで、動機は「金が欲しかった」からだそうです。つまり「お金がない」若しくは無職ですから「お金を稼ぐ手段がない」(雇ってもらえない)、ということのようですが、それにしてはマンション住まいが解せません。

 マンションに住めたと言うことは、それなりに当初家賃や敷金を支払う事が出来たと言うことを意味しています。本人以外の家族からのお金でしょうか?

 この若者が、24歳で無職であるということも事件の引き金になったと思いますが、それにしてもやっている事が幼い。お金が欲しい、誰かからもらおう、もらうためには脅すしかない、という社会倫理のまったく欠如した思考回路によって行動しているとしか思えません。

 この若者に限らず、新聞を読んでいると、「何でこんな事をするの?」と疑問に思うようなことが、最近毎日のように報道されています。これは年齢や職業に関係なさそうです。

 若い人も、ある程度の年齢の人も、さらには私のようなシニアも同じです。また無職、有職も問わないような気がします。

 日本人が両親や学校から教えてもらうはずの社会規範や、生まれながらにして持っていた生活規律というものが、理由はよく分かりませんが、グズグズと溶けていくような不気味な現象を感じます。

 刹那的というか衝動的という言葉でも良いかもしれません。自分の行動が、自分を取り巻く社会や人々にどのような影響を及ぼすのかと言うことをまったく失念して、自分の感情だけで行動するような恐ろしさを感じます。

 どうしてこんな事が日常的に起きるようになったのか?理由は分からないと書きましたが、一つだけこれはと思うことは、やはりネット社会によるコミュニケーション不足の影響があるのではと思わざるを得ません。

 互いの顔の表情を見て対話をしたり、相手の行動を見て自分の行動を変化させるという日常的な行動様式が失われているなと思うことがよくあります。

 通勤ラッシュ時にスマホを見て、自分の歩く進路を見ない。最近は自転車に乗りながらの高校生もいますが、もっとひどいのは運転しながら見ている人が結構います。対向車の運転手さんが前を見ないで下を見ているのですぐ分かります。

 自分さえよければ、自分の欲求さえ満たされれば、という我が儘な満足感が横行し、自分だけの価値観に従って多少の迷惑は許されるだろう、または気がつかない振りをしよう、なんて思っている人が増えているのかもしれません。

 その昔「気配りのすすめ」という本がベストセラーになったことがありますが、もう一度読み返してみても面白そうだなと思うようになっています。
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