長寿をうたいながら社会保障費を削る?

少しでも長く生きたいと思っていますが(2014.6.20)

 世界一の長寿国になった日本ですが、社会保障費の伸びはそれに比例して留まるところを知りません。一方で長寿を支えるはずの若い人たちが減っていますから、必然的に老人が増え、医療機関で働く人たちが減るという現象が起きます。

 また、先日の年金や社会保障費のニュースは、少しでも社会保障費を減らしたいということですから、いったい何のために長寿を追求しているんだろうという不安も感じます。

 人間が少しでも長く生きていたいという気持ちを持っているのは否定できない事実ですが、現状の医療技術では必ず最後が来ることも間違いないです。

  これまでは、「少しでも長く生きたい」という気持ちを最大限にくみ取って、医療技術が発展してきたように思いますが、今後は「長く生きる」から「充実した人生の期間を長くする」に発想が変わってもおかしくないなとも思っています。

 そもそも人間以外の動物や植物は、生殖という行為が終了すると、生物としての役割を終えたことになり、自然に最後を迎えているような気がします。

 「もっと長く生きていたい」という意志があって、健康を保つような努力をしている動植物はいないと思えます。つまり意志というものをもつ人間だけが「もっと長く」と思って、生殖が終わり、子育てが終わっても、私のように「さらに遊びたい!」と考える人が出てくるわけです。

 あらためて考えてみると、人間というのは本当に特異な生物だなという気がします。その意味では、今後も「長く生きたい」という願いがあるならば、生物学的には生殖できる時期も出来る限り伸ばさないいけないのかなと言う気もします。

 長生きの話題は多いですが、子供が作れる期間自体を寿命にあわせて伸ばす事が出来れば、もしかしたら人口減は多少食い止められるかなと言う気もします。(もしかしたら少しずつ伸びているのかもしれませんが)

 一方で、生殖期間を終え、「もっと遊びたい」という気持ちも萎え、体自体も遊ぶことが出来ないような状態になったら、自分の最後を自分で選ぶことが出来る、という制度が出来てもおかしくないなとも思えます。

 最近ようやく医療側も一般的な庶民も、「平均寿命」という考え方から、「健康寿命」という考え方に変わりつつあるような気がします。
 
 私自身、「体が動く内はまだまだ遊びたい」と思っているので、ストレス解消を兼ねて旅行に行き、日常生活では家庭菜園を行い、なるべく良質の野菜を食べ、適度に仕事をして、さらにウォーキング等の運動も行い、健康寿命を少しでも伸ばすように努力しています。

 そのことによって、私自身の家計も助かりますし、日本全体の社会保障費の増加の抑制にも、髪の毛1本分ぐらいは役立っているようには思っています。

 しかし体が動かなくなって、病気になって、その先は・・・と考えると、先日の社会保障費を少しでも減らすという新聞記事の内容は実に暗澹たる将来を予想させます。
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