「凶」が出なくてほっとしました

おみくじをひいたら「吉」、安心しました(2015.1.20)

 昨日は午後は川越の喜多院で時期はずれの初詣。しかし同じようなことを考える高齢者が多いのか、思った以上に人がいました。

 ちょっとだけお祈りをして目的のおみくじを探すと、賽銭箱の横に大きなおみくじ箱があって、その下に番号が書かれた細い棒が入っている入れ物がありました。

 100円をその近くの箱に入れて自分でこの入れ物を振り回し、出てきた棒に書いてある番号をみて、該当する引き出しからおみくじの用紙を1枚取り出します。

 係りの人は誰もいないので、すべてセルフサービスですが、お金を入れなくても勝手に取り出すことも出来る平和なおみくじです。

 またおみくじの種類は全部で100種類。なるほど、人の運命はおみくじ上では100種類しかないのかと妙なことに関心を持ちながら、試してみるとぞろ目の○○番。引き出しから用紙を取り出すと「」。

 しかし「吉」というのが「大吉」から始まってどのあたりに位置するのか?「大吉」「中吉」「小吉」「末吉」という言葉があるの中で、「吉」は一体何番目?

 みなさんご存知でしょうか?これもネットで調べてみると、「大吉」と「中吉」の間であるという記事が見つかりました。ただしそれ以外の考え方もあるようで、なかなか難しい。
 
 一方「大吉」というのは、もうこれ以上ない幸運であるから、後は下降するだけなんていう噂話を聞いたことがあるので、その意味では、「大吉」の次に位置する「吉」はいまだ最高運を目指して上り続けていると解釈できそうで、そう思うと気持ちも爽快。

 まあ60代のおっさんが、吉だ大吉だと騒ぎ立ててもしょうがないのですが、それでも「凶」が出るよりは数段気持ちが高ぶります。

 ちなみに、私は物理系の人間なので、こういった「運」みたいなものは本来理屈に合わないものとして捨て去るべきだという気もするのですが、実は学生時代の初詣で「凶」をひきました。場所は今でも覚えていて、高尾山の「薬王院」

 このときは、何だか霊感が働いて、同じ高尾山の別の場所で再度おみくじに挑戦。するとまたしても「凶」。「こんなこともあるんだ。今年はおとなしくしていよう」と、意気消沈しつつ下山。

 そして、この年の2月、なんと父親が心臓病で急逝。その時改めておみくじのことを思い出して、ちょっと背筋がぞっとしました。

 まあ単なる確率の問題だといえそうですが、以来おみくじをひくときは、結構真剣になる傾向があります。というわけで、今年も家族一同大過なく過ごせ、旅行もOK、家計もまあ何とか維持できそうな雲行きだなと思いつつ帰宅し、その足でウォーキング。

 平和な1日でした。
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