墓は近くにないと・・・

お墓参りに行って来ました(2016.6.3)

 朝から良い天気で、「こりゃどっか遊びに行かないともったいないな」と思いつつ、結局午前中はいつものようにブログの更新やホームページの修正をしていました。

 お昼は、冷蔵庫にあった残り物の豚肉とキャベツで焼きそばを作り、「さてどうしよう?」と思って、空を見上げて向かったのが、車で30分ほどのところにあるお墓。

 私は本当の生まれは石川県でしたが、父親の仕事の関係で幼稚園以降は東京を中心に生活していました。石川県で生まれたというのも、祖父祖母がいた関係で、要するに母親が一時的に里帰りして私を生んだという事です。

 その後父親は51歳の時、過労で急逝。私がまだ学生の時でした。その姿を見て育っているので、「ともかく過労は厳禁。出来る範囲で努力はするけど、絶対に無理はしないぞ」と誓って、教職に就きました。

 結果的には、今度は私が父親の逝去年齢より年上になった56歳の時、妻がこれまた突然の病気で、2年間の闘病生活を経て亡くなってしまい、その後1年間仕事は続けたものの、体調不良となり、無理はしないぞと思っていたので早期退職となりました。

 その間、父親が亡くなった時は、両親それぞれの私から見て祖父祖母にあたる人たちはまだ健在で、お墓は石川県にありました。

 ここからが大騒動で、石川県は保守的な色彩が強い県のようで、長男は家を継ぐのが当たり前、という考えがあり、まだ学生だった私に、父親の遺骨は石川県の墓に葬り、お前は石川県に就職しろというような要請が、祖父祖母だけでなく、親戚からも手紙や電話で説得されました。

 しかし私はすでに20年近く都会で生活していましたから、今さら石川県に戻ってこいと言われても、文化的な違いを強く感じてしまい拒否。母親も都会の便利さを認識し、今さら不便な田舎に帰るつもりはない、ということで私の考えを支持。

 結局一時的に、現代の村八分?のように親戚から総スカンをくらい、本来私が継いでも良かった、家や土地と言った資産も管理できないだろうから放棄しろという事になりました。

 というわけで、まあ一時的に孤立無援の状態で大学を卒業したわけで、たまたま合格できた埼玉県の教員になれたからよかったものの、そうでなかったらどうなっていたかと、今さらながら思います。

 一方母親の方は私の就職が埼玉県に決まったことにより、この土地に永住するつもりで、冒頭に書いたように新たに墓を建て、そこに父親と私の妻の遺骨が葬られています。

 つまり父親の遺骨は石川県と埼玉県にあり、妻の遺骨は埼玉県と、実は故人が大好きだったハワイで散骨を行ったので、ワイキキ沖の砂の一部となっています。

 (これも私がしつこくハワイに行く理由の一つです。サンセット時に海辺でアルコールを飲みながら、心で語り掛けるという事をやっています)

 さて墓ですが、やはり家から近いところにあるというのは便利ですね。歩いて行ければ申し分ないのかもしれませんが、車で30分程度なら、買い物ついでに寄ることもできます。

 以前は母親とともに行くことが多かったのですが、最近はもっぱら私が単独で行き、花を供えたり、除草をしたり、植木の剪定をしたりしています。今日は剪定をしてきました。

 ちなみにこの墓の管理費用は、今は母親が支払っているようですが、いずれ私が支払うことになります。年間で数万という費用ですが、これも年金から支出せざるを得ない費用という事になりそうです。


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