教育への投資が必要です

教育は将来への投資(2012.9.27)

 シャープが何千人ものリストラを発表し、その方々の将来が気になるところですが、昨日の新聞だったでしょうか、日本からの人材流出の記事が出ていました。

 日本は事務職に対して手厚い給料体系になっているようで、いわゆる先の見通しが見えない研究職に対しては、その扱いが諸外国に較べてお粗末である、というような主旨だったと思います。

 その結果、本当に優秀な人材が、日本の企業に見切りをつけて海外に流出してしまい、海外で手厚い研究費を支給された方が、日本の企業を脅かすような研究開発を行っている、という結果になっているようです。

 つまり日本の企業は、海外企業のために優秀な人材を放出し、その結果自社の利益が圧迫されるという自虐的な営業形態に陥っているということです。

 そういった悪循環を打開するためには、それこそ大胆な発想の転換をしないといけないと思うのですが、政治の動きは相変わらずひじょうに緩慢で、様々な諸課題はすべて先送りし、自分の議員の椅子がどうなるかと言うことのみを考え、くっついたり離れたりを繰り返しています。

 民主党の代表選が終わり、昨日は自民党の代表選も終わりましたが、なんだか派閥や人気の力学で選ばれているだけで、日本をどうしたいんだ、どうするんだという主義主張は最後まであまり明確でなかったような気がします。

 先の展望が見えないからしょうがないと言ってしまえばそれまでですが、目先の椅子だけを追い求め、長期的な視野を持てない政治家や経営者が多すぎるのではないかと感じます。

 いじめの問題からいきなり逸れたように感じる方がいるかもしれませんが、実は将来に対する投資という意味で、学校教育はひじょうに重要な意味を持っていると思いますし、同じ意味で企業の経営と言うことに関しても、将来への投資として、研究職を大事にすべきだと思います。

 目先の見返りは確かに期待できないかもしれませんが、10年20年先を見据えれば、これ以上教育への予算を減らすべきではないと思っています。

 現役の先生からは反発を受けるかもしれませんが、教員の給料の大枠が決まっているなら、全体の給料を5%減らし、その分新しい先生を採用しても良いのではと私は感じています。

 そうすれば20人の枠が21人に増えます。今学校現場で感じているのは、正規教員が少なく、ともかく手が足りない、ということです。

 結局個々の教員が忙しさに対応するため何を犠牲にしているかと言えば、教員にとってもっとも大事な教材研究の時間だと思います。

 その昔大学の先生が10年1日のごとく、同じノートを使って講義をしている、なんていう揶揄がありましたが、高校の教育現場でもそのようなことが行われつつあります。

 教材や練習問題、場合によっては定期考査の一部の使い回しがかなりの頻度で行われています。そうでもしないと日常業務がこなせないという実情があります。

 そうゆう現場の中でのいじめ問題。昔と違って家庭の教育力も落ちていることが実感でき、その分を学校が引き受けているという感覚もありますので、一度疲弊の始まった学校はそれを支えきれず、ズルズルと地盤沈下していくというイメージがあります。

   
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