国会議員さんのコメントには
切迫感が感じられません

1票の格差への違憲判決(2013.3.31)

 数日前に衆議院選の1票の格差是正で、多数の裁判所が違憲判決を出しました。途端に慌てて0増5減というような案が急浮上(これまで慎重に検討されていたのだと思いますが、ニュースを見ている側からすると急に出てきたという印象があります)。

 まあ何も案がないよりは良いような気もしますが、確か野田総理が衆議院を解散するとき、選挙制度の見直しを各党に迫り、それが了承されたということで解散したのだと記憶しています。

 しかし解散し、自民党の天下になった途端、金融緩和や経済問題ばかりが取り上げられ、選挙制度の見直し論議はいつの間にか消えていました。

 そんな中での違憲判決ですから、インパクトは大きいです。というか日本国が国として存在する時の背骨となっている憲法の違反ですから、そんじょそこらの道路交通法違反や民法の違反とは次元が異なるように思えます。

 もちろん憲法そのものに問題があって、これを変えてしまおうという動きもあることは事実ですが、今現在はこの憲法がすべての法律の頂点にあるわけですから、それを遵守するのは立法府の国会議員さんにとっては当たり前のことであるような気がします。

 ところが、これまでは憲法違反と言われた議席であっても、それをまるで既得権のように考え、制度は違法だが実質的に選挙で選ばれたことは認めざるを得ないという妙な理屈で、その議席を維持してきました。

 従って、該当地域に所属する議員さんからは「唐突な裁判だ」とか「旧に言われても困る」とか「これで議席数がどうなるか」とか、我が身の議席維持しか考えていないような、突飛な言葉が飛び出しています。

 つまり憲法違反より自分の議席の方が大事だ、と言うことを暗にほのめかしているわけで、そう言った人たちが集まって「憲法改正」と叫んでも、それは結局自分たちに都合の良い改正しかできないだろうなと予測できます。

 私は理系の人間なので、こういった選挙区割りというのは、一切の個人的感情や立場を廃して、数字のみで厳正に扱うのが良いのではと思っています。

 そもそも各都道府県に1名とか、数名という今の小選挙区制では、ほんのちょっとの得票率で常に大政党が多数を占める形になってしまいます。

 それでもこの制度を維持するなら、1票の格差がある数字を越えたら(例えば1.5とか)、自動的に定数の増減を行うような制度にしないと、いつもいつも同じような議論を繰り返し、時間の無駄だなと思わせることになると思います

 さらに究極の平等選挙は、全国区のみにして、得票数順に議席を与えれば良いような気がします。これは市町村単位では常に行われていることです。

 全国区にすると金がかかる、なんてことを言い出す古い議員さんも多いようですが、今やネットの時代で、やろうと思えばアメリカの大統領選に日本から模擬投票をすることだって可能なはずです。

 新しい時代がどんどん押し寄せているのに、自分の議席と地盤の周辺だけを見て選挙活動をする古いタイプの国会議員さんでは、これからの時代は乗り切れないだろうなと思えてしまうのですがどうでしょうか?

 日本という国全体の立場に立って行動してくれないと、いつまでたってもアジアの小国の田舎議員という立場から抜け出せないと思います。
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