便利さと危険性を秤にはかけられない

オスプレイの危険性、東電の被害者意識(2012.7.14)

 三連休の初日だったのでちょっと朝寝坊。7時半に起きました。大量にはさまれた新聞広告をパラパラとめくりますが、大半は私の生活とは無縁な広告です。

 パチンコ屋さんと電気屋さんの広告が多いなあと思いつつ、1面を見ると「オスプレイに弱点」という見出しが目に付きました。

 このオスプレイの配備計画については、事故が多いのに一方的に日本全国で低空飛行訓練が行われることが分かり問題になっています。

 ところが識者やコメンテーターと言われている人たちの解説を聞いていると、いまいち歯切れの悪さを感じます。それはこの配備計画が老朽化したヘリコプターの代わりで、現状よりも支援物質の運搬がスムースになる、という部分に起因しているように思えます。

 便利さと危険性を秤にかけているような話で、よく考えてみると原発再稼働の論理とまったく同じですね。コメンテーターの方達の意識の中にも、自分の頭の上さえ飛ばなければ、「まあいいか」というニュアンスを感じます。

 しかしあえて老朽化したヘリコプターの代わりを考えるとしても、それは新鋭の安全なヘリコプターを配備すればいいわけで、わざわざ事故の多い機体を配備する必要はないと思います。

 アメリカは、不安定な機体ではあるものの、多額の予算で作ってしまったので、少なくともアメリカ国内で事故が起きる事だけは避けて、やっかいものを日本に回してきたんじゃないかという気すらします。

 何となく不満を感じながら2面を開くと、家庭向け電気料金値上げ早期認可を目指すとして東電会長さんのコメントが出ていましたが、これを読んで一気に血圧が上がりました。

 気になったのは「消費者庁が人件費の更なる圧縮を求めていることについては「『水に落ちた犬はみんなで棒を持ってたたきましょう』という振る舞いに感じる」と不快感を表明」(「 」内は記事より引用)という部分ですが、この方の主張の根幹は「東電は被害者である」という意識ですね。

 事故が起きたのは自然災害による偶然の結果で、そのために給料は下がり、会社は存亡の危機に立たされている、という自分たちだけが被害者であるという意識がはっきり出たコメントだと思います。

 しかし私は今回の事故では東電は加害者だと思っていますから、話はまったく噛み合わないことがよく分かります。東電が地域の方と一緒になって復興に努力しようという姿勢が見られないのもそのためかと逆に納得できました。
 
 確かに水に落ちた犬かもしれませんが、その犬が落ちるときに巻き添えになった人が今どれだけいて、その人たちはいまだに水の中にいるのに、自分だけはその水の中にいる人達からさらに金を巻き上げて助かろうというのが現状ではないかと思います。

 水の中に落ちた被害者が結束してなんとかはい上がろうとしているときに、俺はお前達とは違ってちょっと偉いんだから、俺だけを助ければ良いんだ、という傲りすら感じます。

 電力供給に必死に取り組んでいるんだろうな、という姿勢は理解できるものの、この傲慢な被害者意識は私には到底理解できません。 


表紙に戻る 政治の動き 低空飛行訓練に反対