同じ過労でも
目的意識があればいいのですが

若者は過労自殺、退職者は給与増?の矛盾(2012.10.7)

 今日の毎日新聞には若者の過労自殺の記事が出ていました。読んでみると大変悲惨な内容で、華々しい大手の企業であっても、その仕事自体は過酷であり、労働時間も想像を絶するように思えました。

 振り返ってみると、私も30代の頃、教員でしたが徐々に仕事には慣れる一方で、責任のあるまとめ役もやるようになり、毎日夜8時9時まで仕事をしていた記憶があります。

 また休日は部活指導と言うことで、ほとんど休みもなく出勤していました。それらすべては、企業で言うなら残業になるわけですが、そのトータルは、当時は土曜半日勤務で日曜の部活指導も含めると、1週間で20時間を越していたと思います。

 ということはトータルで月100時間前後の残業と言うことになります。しかし教員は生徒や保護者への対応で、勤務時間が通常のサラリーマンとは違う特殊事情があると言うことで、教職調整額というものが支給され、基本的には残業手当は一切無しでした。

 ということは意識的に残業しなくても、この教職調整額は支給されるので、要するに残業する先生の意識はボランティアみたいなものだなと思っていました。(その後勤務の制度が改正され、休日の部活動指導に関しては若干の手当が支給されるようになりました)

 それでも私自身は同じ世代で教育に情熱を持っている仲間がいて、一緒に仕事をして、また教育という仕事自体に魅力を感じていましたから、さほど大きな負担も感じず、「こりゃ大変な仕事だな」と思いつつ、なんとかその時期を乗り越えました。

 乗り越えられたキーポイントは、仲間がいたことと仕事に目的意識が見いだせたことかなと思っています。

 しかし新聞記事を見ると、目的意識ではなくノルマを課せられ、要するに体力がボロボロになるまで使われ、しかも仲間もいない、というように読み取れ、これでは確かに精神的にも肉体的にも持ちこたえられない若者があらわれるだろうなと思えます。

 経営者側は、若いときの自分はもっと苦労した、なんていうことが多いようですが、それは自分自身に強い目的意識があったから出来たことで、しかもそうやって苦労した後に成功した人はほんのひと握りの筈です。

 確かに私から見ても、なんだかロクに勉強しないで、自分の感情だけで日々場当たり的に生活しているような若者がいるな、と思うことも事実ですが、そうではないひたむきな若者も大勢いますので、その方々が夢のある将来設計を描けるような社会にしないといけないなと感じます。

 今日の新聞には、一方で定年退職者に向けて「再雇用 給与増の動き」というような見出しも出ています。新しい法律で60歳以上で希望する人はすべて雇用しなければならないと言うことが法律で義務づけられたそうですが (高年齢者雇用安定法)、確かに働ける人に取ってはありがたい法律です。

 しかし、であるなら若齢者雇用安定法なるものも作って、若者の雇用も促進すべきではないかと思います。片方は希望すれば必ず雇用され、もう片方の若者は、就職出来る会社がないとか、就職できてもボロボロになるまで働かされる、というのでは境遇にあまりに差があるように思えます。


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