外圧によって左右される政治

オリンピック招致のために汚染水対策?(2013.9.11)

 テレビではオリンピックの話題ばっかりです。もちろん喜ばしいことなんだろうなと思わないでもないのですが、どうもマスコミがあまりに大袈裟に同じ論調で騒いでいるときは、逆に不満や不信を感じてしまいます。

 ほぼ100%の人が前を見ているとき、一人だけちょっと後ろが気になって振り返ってしまう、という衝動を私は感じてしまいます。へそ曲がりです。疑い深いとも慎重とも言えます。

 特に気になったのが、やはり福島の汚染水問題。安倍首相は「汚染水は完全にコントロールされている」と土壇場で大見得を切ったようですが、実際には日々汚染水がタンクにたまり、その漏水が指摘され、一方で地下水が流れ込み、その一部が海に流出している可能性があると報道されています。

 こういった現実を見ると、「現状は完全にコントロールされている」とはとても思えません。そしてこの現状を完全にコントロールできていないからこそ、東電に不信感が募り、しょうがないので「政府がなんとかするから、それを信じてくれ」というのが、オリンピック招致前の政府の態度だったような気がします。

 さらに実際のプレゼンテーションでは、当初は汚染水問題には触れない意向であった、と新聞に書かれています。その方針が変更になったのは、各国の汚染水問題に対する関心が想像以上に高いと言うことが分かったからです。

 つまり汚染水問題が海外からそれほど大きく注目を浴びているとは当初思っていなかったということで、これは国際感覚の鈍さを示しているような気がします。

 一方何が何でもオリンピックを招致したかったためか、最後はなりふり構わず?「汚染水問題はコントロール下にあり、今後も問題にはならない」と宣言せざるを得なかった、と言うように見えます。

 ということは、オリンピックで指摘されなければ、汚染水問題は相変わらずノラリクラリと対策を先延ばしにするような方針がとられた可能性があります。

 その意味ではオリンピック招致が汚染水対策を後押ししたと言うことになり、その意味では良かったかなと言う評価にもなりそうです。

 ただ、今現在福島を離れて避難生活を送っている方や漁業そのものに大きな影響が出ていると分かっていても、そういった外圧がないと、積極的に政府は動かないんだということがよく分かったような気もします。

 しかしこれは人間の持って生まれた本性かもしれません。仕事でも勉強でも、それが必要だと言うことが分かっていても、上司や親から強く言われないと、面倒なことはなるべく後回しにして、なかなか実行しないというのが一般の人の性格です。

 その意味では、国家も似たようなもんなのかなと思えますが、国の場合は個人と違って、国そのものの動きが多数の人の生活に影響を与えるわけですから、リスクを率先してとり、困難なことも力を合わせてやり抜く、という姿勢を見せて欲しいなと思います。

 汚染水問題は、他の国から指摘されるまでもなく、東電や国自体がもっと危機意識を持って事故当初から取り組むべきだったとしか思えません。


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