誰がなるかではなく、何をやるかです

内閣改造が行われたようですが・・・(2014.9.3)

 テレビでも新聞でも、内閣改造の話題ばっかりです。同じような報道が多いと、天邪鬼の私は「ふ〜ん、それでいったい俺の生活は何が変わるの?」と思ってしまい、なんだかニュースを見る気が失せ、新聞も流し読みです。

 雲の上とは言いませんが、なんか良く分からないけど、おじさん達が集まって権力の役割分担を再構成しているだけのような気がします。

 どうしてそう思ってしまうんだろうと、改めてウィキペディアで内閣改造が行われる背景、という文章を読んでいます。そこには三つの要点が書かれていました。

 第一は内閣総理大臣がリーダーシップを発揮することにより、政権基盤強化を図ることだそうです。政権というのは、政治権力の略だと解釈していますが、要するに総理大臣が政治運営を行うに当たって、自分の意見をうまく反映できるような役割分担を作る、ということだと思います。

 その意味では、安倍総理の意向や考え方にそぐわない人は閣僚からはずし、同じ考えや意向を持った人を集めることによって、よりお山の大将的な存在になることを目指す、ということでしょうか。

 今回はそういった意味があるのか、石破波幹事長の動向が注目されたように感じます。

 第二は、長期政権化で国民からマンネリ感を持たれて閉塞感が漂っている場合、改造によりフレッシュなイメージを国民にアピールして、期待感をもたせるということだそうです。

 女性閣僚を登用し、谷垣元総理を幹事長に任命というのが目玉になりそうですが、それでフレッシュ感が出たかなあと考えると、私にはあまりピンと来ません。

 しかしでは逆にどんな人が大臣になったらフレッシュ感が出るのかとなると、これもまた難しい。無名の人?や若い人はフレッシュ感があっても、どんな人か分からない不安もあります。そう考えると、改造を行う側も、ものすごく人の起用に関して神経を使い、さらに様々な裏事情もあるんだろうなと勘ぐることもできます。

 第三は、大臣になることを期待している政治家の夢をかなえること?だそうですが、本来の得意分野でなくても、とにかく大臣と名がつけば権力欲や名誉欲が満たされると考える人も中にはいるようで、時に国会答弁で情けない姿を披露することもあります。

 ただ内閣改造を行う側からすれば、これによってさらに自分への支持者や帰属者を増やす効果もありそうですから、実力はともかく当たり障りのない役職(なんてものはないとは思いますが)に就いてもらって、その名誉欲を満足させてあげよう、という気持ちがあるのかもしれません。

 というわけで、こうやって背景を考えてみても、どうも我々庶民の生活とは違う次元の話だなと感じてしまいます。しかし大臣の一言で、それまでの社会の流れが変わるということもありますから、最終的には「誰がなった」という問題ではなく、「何をするつもりなのか」が問題になりそうです。


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