他国への輸送・補給

国の首脳同士の相互不信が事の発端(2015.7.28)

 意図したわけではありませんが、昨日公明党の影が薄くなったと書いたら、今日の新聞朝刊に、「公明離れの学会員次々」という記事が出ていて、私のような傍観者よりも、当の公明党議員さんの方が危機感を持ってすでに行動に移している人もいるようです。

 一方国会審議も始まりましたが、今日の毎日新聞2面に、主な質疑と首相の答弁という記事があって、その中で共産党の市田議員さんが「自衛隊が戦闘地域で他国軍への輸送・補給などを行えば攻撃対象となり、戦闘になる」と質問したのに対して、首相の答弁は「武器を使うのは自分たちの防護のためやむを得ない場合のみで、戦闘行為になることはない」と答えています。

 つまり首相の認識では、防護のために武器を使っても、それは戦闘行為ではないという定義になるわけで、どうもこの辺の認識が私の感覚とずれているなと感じます。

 攻撃だろうが、防護だろうが、武器を構えた瞬間に、それは戦闘行為だと思うのですが、自分が防護だと思っている場合は、それは戦闘行為ではないということで、当事者がそんなことをいちいち考えて対応できるのか、という気もします。

 そもそもどちらが攻撃側でどちらが防護側なのかも判然とせず、首相の見解としては、戦闘地域の後ろの方で武器供与の作業をしているだけなら戦闘ではないということのようです。

 しかし、相手にしてみれば武器供与を受けた側から攻撃を受けていると考え、防護のために武器供与をしている後方部隊を攻撃するということも考えられます。

 この場合双方が防護のためにと考えて武器を使うわけで、それが戦闘行為に当たらないというのは、実に不思議な解釈だと思います。

 しかもこれまでの答弁の流れを考えると、こういった防護なら、リスクはこれまで同様ほとんどないというのが、政府見解のようですからますます不思議です。

 首相は国民の理解が足りないから、衆議院では強行採決をしたが、参議院では丁寧な説明を心がけると言っていますが、国民の大多数がこの法案は危険だと理解したから、反対が賛成を大きく上回っているのだと思います。

 とはいうものの、アメリカという国自体が世界の秩序を保つと宣言していた時代は少しずつ変わり、アジアでは中国がいろいろ問題をはらみながらも大きな成長を遂げていることは事実です。

 そんな中、日本はどういう立場をとるべきなのか?ということが、今回の法案審議を通して、私自身も少し切実な問題として考えなければいけないんだなという契機にはなったように思います。

 さてどうなるか?しかし昨日の首相の答弁では中国を名指しで具体例として出していましたが、そんな答弁でいいのかなと不安になりました。

 紛争が起きるきっかけは、互いのちょっとした意思疎通の誤解でも生じると思うのですが、国会で「私はあんたの国を信用していないよ」と言いながら、外交時には「仲良くやりましょう」という挨拶が通じるのか?

 結局最後は国の首脳同士の相互不信感が大きく将来を左右するように感じます。そして庶民はその不信感に丸ごと抱き込まれ、いつの間にか泥沼にはまっていくというパターンが多いようにも感じます。 


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