過ぎてみれば早い?

息子の高校生活が終わりに近づいてきました(2012.12.11)

 高校3年生の息子の受験期が近づきました。中学1年になった6月に母親が突然入院。以来翌々年の2月まで母親は闘病生活を続け、その間私は仕事と家事と病院の三重生活が続き、心身共に疲れ果てました。

 しかし、努力の甲斐も虚しく、息子が中学2年の2月に母親は他界。入院中からすでに父子家庭生活を強いられていましたが、その1年後息子は中学3年となり高校受験を経験。

 私も1年間フルタイム勤務を続けましたが、それ以前の2年間の生活で心身共に疲弊したのか体調が悪化。このままでは日々の生活に支障をきたすと判断し、結局息子が中学を卒業すると同時に、57歳で早期退職
 
 そして2年半が過ぎ、息子は再び受験期に突入。私は非常勤講師の仕事とネットの副収入、市や国からの支援金をもらい、毎月の収支は赤字続きですが、それまでの蓄えと退職金を消費しつつ今日に至っています。

 早期退職後私の健康状態は一挙に改善に向かいましたので、それまでの重圧をあらためて感じましたが、その後はともかく金銭的な赤字より、自身の健康に注意しながら生活しています。

 一方息子が高校に入学して最初に困ったのはやはり経済面。私立高校だったので、授業料が高い上に、初年度は制服代その他の費用がかなり必要でした。
 
 しかし民主党の高校授業料無償化の政策で私立高校も援助があり、さらに一人親支援金も市からもらうことが出来、負担は少し軽減。民主党政権に変わって恩恵を感じた政策でした。

 その次に困ったのが弁当。早期退職をしましたから時間はあるものの、最初はやはり苦労しました。米の炊き忘れ、おかずの買い忘れ、箸の入れ忘れ等がありましたが、週に3回は弁当という習慣が最近は定着しています。

 心配だった三点目は、思春期の扱いが難しい時期に、男親だけで大丈夫かということです。女性の優しさが時には必要なのではと思っていたのですが、これもなんとか大きなトラブルもなく今日に至っています。

 自分自身が高校生の時はちょうど学生紛争の時代で、やはり精神的に荒れた思い出があり、一時期は親とほとんど口を聞きませんでした。その時の事を振り返って、基本的に自分で出来ることはなるべく信頼して任せよう(ある意味放任ですが、見守ると言うことを貫こう)と思って生活してきました。

 私自身が教員で、いろいろな高校生を見て、さらにその後ろにいる親の姿を想像する機会がいろいろありましたから、子どもの高校時代というのは、つかず離れずという関係が一番よいのではと思っています。

 時には歯がゆくなってつい手出しや口出しをしたくなりますが、自分の高校時代を思い出すと、例え手順は悪くても親から指図されるのは嫌だったし、それが自立への近道だと感じていましたので、息子にもそうゆう態度で臨んできたつもりです。

 しかし息子が入学した当初は、「あ〜、これから高校3年間かあ。長いなあ」と思っていましたが、今日になってみると誰もが同じような感想を持つと思いますが、「あっというまだったなあ」という気もします。

 私立高校なので、12月の授業が終わると、3学期はほとんど家庭研修になってしまうようで、私の弁当作りもあと2週間ぐらいで終わり、後は受験期に向けて最期の体調調整時期になるのでしょうか。

 無事受験が終われば大学生?「こんな子どもが大学生?」という感じもしますが、きっと私もそう見られていたんだろうなとは思います。これからはどんどん親子という関係ではなく、同じ男同士の関係に近づいていくことになりそうです。

  
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