価値観の多様化により
指導方法も様々

教育界は混沌としています(2013.1.13)

 依然として体罰問題が特集としてテレビではクローズアップされています。徐々に更に細かい事情が明らかにされていますので、関係者は教育委員の人たちを含めて戦々恐々としているはずです。

 今朝テレビを見ていたら、「体罰に賛成か」という街頭アンケートをやっていました。「体罰の中味が問題だな」とは思ったものの、その結果を見てみると、体罰容認:体罰反対=1:3ぐらいではなかったかと思います。

 正直なところ、体罰容認が多いなと言う感覚です。その方達が今回の事件のように殴打を30回もするような体罰を意識していたのかどうかまでは分かりませんが、特に運動系の部活で一生懸命やっていた人は、「多少の体罰なら・・・」という意識があるのかなと思います。

 世の中には本当にいろいろな人がいて、当然ですが生徒にも、保護者にも、教員にも、そして管理職にもいろいろな人がいます。

 「先生、うちの子は徹底的にひっぱたいて強制してください」という保護者もいれば、「我が家は放任ですからタバコを吸おうが酒を飲もうが本人の責任として指導してください」という保護者もいます。

 一方で「この子が可愛くて、今も一緒の布団で寝ています」という親もいれば、「一人では何も出来ないので、着替えを手伝っています」という親もいます。先生を面談の場所で恫喝する保護者もいます。

 一方生徒の方は、中学時代から非行に明け暮れ、刑事事件になるようなことを一通りすべて経験したという生徒もいれば、教員と視線を合わすことが出来ないとか、3年間一言もしゃべらないとか、最近は落ち着いて椅子に座っていられないとか、沈黙に耐えられないという生徒もいます。

 それを迎える教員側も、体育系で体罰を受けてきた先生もいれば、大学院で研究生活ばかりしていたため、生徒と視線を合わすことが出来ないような、信じられないような先生もいます。

 何かあれば言葉や態度で恫喝して指導する先生もいれば、そんなことは面倒だとばかりに何もしない先生もいます。さらに何も出来ない先生もいます。生徒が授業中騒いでいても注意できない先生がいます。

 管理職も見て見ぬ振りをする人もいれば、必要以上に介入し、教員を権力で脅す人もいます。

 まあこうゆう実態は一部の人たちですから学校はなんとか学校の体裁を保っているわけですが、ある意味平均的な先生方はその渦中にあって神経をすり減らすという現象が起きています。

 そこへ持ってきて、部活を強くしろ、特色を出せ、授業の質を高めろ(これは当たり前ですが)、生徒や保護者の意見をくみ取れ、体罰はするな、女子生徒の体には指1本触れてはならない(微妙な表現ですが)、という様々な要求が行われます。

 一方で何日までにこの調査文書に回答せよ、服務規律を守れ、公開授業のための指導案を作れ、部活の指導は顧問立ち会いの下で行え、生徒会や委員会活動を活発にせよ、文化祭や体育祭の行事を今以上に盛り上がるよう努力せよ、という授業以外の部分での要求もひじょうに多いです。

 教員は教育のプロなんだから当たり前だ、と言われてしまえばそれまでですが、正直なところ家庭教育や躾までやれと言われている現在の教員の負担は多すぎるように感じます。それを逃れるためには、何かを切らざるを得ません。

 それは授業の質かもしれませんし、勤務態度かもしれません。部活に逃げる教員もいます。一切の業務分担を拒否してというか、分担しても何もしない教員もいます。教育界は混沌としています。 
  
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