子どもに負けず、私も勉強?

センター入試が始まりました(2015.1.15)

 昨日からセンター試験が始まっています。私が非常勤講師で教えている生徒の中にも、今回のセンターに挑戦する子がいるので、少しばかり気にしていますが、初日は特に大きなトラブルもなく終了したようです。
 

 ただ今年から新課程入試となり、生徒側も教員側も、さらに言えば予備校でも「どんな問題が出るのか、よく分からない」という状況での試験でした。

 制度をいろいろと新しくして、より良い入試制度を模索するのは良いのですが、ある年度で急に制度が変わったとき、その該当年度に所属する受験生の心への影響は大きいなと感じています。

 しかも同じ制度内でも、毎年のようにそのやり方が微妙に異なるため、現場の進路指導担当の先生の気苦労は大きいです。

 さらに文科省は受験制度だけを考えていれば良いわけですが、高校現場では受験をする子もいるし就職をする子もいます。中には留学したい、という子もいたりして、それらの制度をすべてある程度把握していないと満足な進路指導ができません。

 私の時代には、進路なんて自分で考えることだから、学校から指導を受ける必要なんかないと私自身生意気に思っていました。実際教員側も「受験どうするんだ?」と聞いて、生徒が「○○大学を受けようと思っています」と言うと、「そうか、じゃあがんばれよ」という程度の指導しかしていなかったような気がします。

 しかし、最近は制度も複雑化し、様々な選択肢があるため、結局何をしたら良いか分からないという生徒も増えています。また小さい頃から、様々な面で世話を焼かれて育っている子が多いので、依存心も大きいようです。

 たしかに実際の進路の選択肢は、受験方法ひとつとっても以前と較べるとその方法が複雑多岐に渡り、制度を理解するのも一苦労です。従って選択肢が多すぎるて選べないということもありそうです。

 また近年よく感じるのは生活体験が不足していること。普通は体験がなければ本を読んだりして、自分の興味関心に対する知識は増えるはずですが、そういった読書習慣もないため、自分の興味関心が分からないという生徒も増えているようです。

 とはいうものの、これは大人の世代からの視点であって、子供は子供なりに私の若い頃と同じ時間を過ごしているわけですから、そういった読書で得られる知識とは別のものを、ネット等で得ているのかもしれません。

 というわけで、そんな受験生のことを考えながら、私ももし来年講師をやめて時間がとれるようなら、社会人講座の受講はどうだろうかと少し真面目に考え始めました。

 ちょうどこの時期が社会人向けの入試も始まる時期なので、今日はこれから少し近隣の大学の状況を調べてみようかと思っています。

 それこそ私自身の興味関心を引くような講座があるかということになりそうで、じゃあ一体自分はどんなことを知りたいのかと、少し自問自答をしています。
   
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