大地震が起きるのは確率の問題

大地震は予知できないという方針転換(2013.5.28)

 今日の新聞第一面の見出しは「南海トラフ 減災重要」というもので、基本的にマグニチュード9クラスの巨大地震の発生時期や規模は予測が困難、という前提に立ったことが、これまでの災害対策とは大きな違いのような気がします。

 コップを少し傾けた状態で水を入れていったときに、溢れる直前から一滴ずつ入れていくと、いつかは必ずこぼれるという予測は誰でも出来ますが、いつこぼれるかという時刻を正確に予想することは不可能だと認めたようなものだと思っています。

 ましてやそのコップが様々な外からの要因でしょっちゅう小刻みに揺れているというような状態では、予測のしようがありません。

 実際には、太平洋プレートと大陸プレートが渾身の力をこめて押し相撲をしていて、両者の筋肉がぷるぷる震えて、今にもどちらかが崩れ落ちるというような状況が数百年に渡って続いているわけで、この決着はいつ着くんだ(いつ大地震が発生するんだ)と言われても、誰も答えられないのは明白です。

 ただこれまでも指摘されてきたように、予兆現象が生じる場合もあるはずです。つまりコップの水の場合なら、周囲からの揺さぶりでコップ内の水がちょこっとこぼれ始めるとか、押し相撲の力士の足がちょこっとずれるといったような、小さな動きですね。

 これが予兆になるわけですが、これまではこの予兆を捉えて地震予知に役立てようという研究がされてきたのだと思います。

 しかし実際には予兆がほとんどない状態で、いきなりコップからどっと水が溢れるとか、力士が足をすべらせて倒れ込むなんてことも起こりえますから、その場合はほとんど予兆がなかった、ということになるのだと思います。

 東日本大震災では、事前に散発的な地震が起きたようですが、それを予兆と捉えるかどうか調べている内に大震災が起きたというのが実態のようですから、この場合はほとんど予兆がなかったと解釈されてもしょうがないと思います。

 というわけで、基本的にいつ起きるか分からない地震に対して、これまでは備蓄食糧は3日と言っていたものを7日にするそうで、これは結構大変だなと思えました。

 第一我が家のような小さな家では水や食料その他防災グッズを保管する場所すらありません。

 折角保管したのに、地震が起きたら家が崩れて取り出せないとか、火災で丸焼けになってしまうというリスクもあります。そう考えると、私のようなお気楽で自堕落な人間は、「まあいいか、起きたら起きたでしょうがないや」と考えて「何もしない」ということになりそうです。

 その意味では地域の自治体で、防災倉庫みたいなものを作り、共同で保管するという考え方も必要かもしれません。

 なお、予知が出来るかもしれない、という発想から、減災に徹しようという方針転換は歓迎です。

 是非この考えを原発関係の当事者や政府関係者にも適用して、原発や放射線の事故は、いくら安全性を強調しても必ず起こるという前提に立って、本当に再稼働が必要なのかどうかを考えてもらいたいなと思います。 
  
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