黙々と働く庶民だけが取り残される

生活防衛のための外貨預金(2014.10.26)

 数日前のテレビでNHKだったでしょうか?特攻隊の映像を流していました。20歳前後の若者が、爆弾を積んだゼロ戦に乗って、アメリカ軍の艦船に突っ込んで行く映像は、何回見ても衝撃的です。
 
 私の父親はすでに他界していますが、終戦間際の頃には学徒出陣という掛け声で、千葉県の高射砲陣地にいたという話しを少しだけ聞いたことがあります。

 存命中にそういった話しをもっと聞いて置けばよかったと悔やんでいますが、戦争への経緯はどうあれ、国というものが個人に犠牲を強いる、という形はいつになっても変わらないなと最近感じるようになりました。

 恐ろしいのは、国のために命をかけて敵艦に体当たりせよ、と命令を出した人が過去にいたということです。国の存続や政治家、軍の意地のために庶民の犠牲は当たり前、と考える人がいたというのは大きな衝撃ですが、基本的に国の指導者といわれる人たちの中で、そういった価値観に傾いていく人が出てくるのかもしれません。

 通常はそんなことが許されるわけがないし、そういった人たちは断罪されるわけですが、国がその形を維持するために、多かれ少なかれ税金等の形で庶民に苦労を強いるという構造そのものは、世界中のどこでも見られるような気がします。またそうしないと国家としての形態を維持できないという主張も多少は理解できる気がします。
 
 しかし自分達の見通しの甘さを棚に挙げて、現状がこうだから、この先はこれだけ負担をお願いしますと言われても、何回も書いていますが、急な制度変更は老後の生活を不安にさせるだけです。

 今日の新聞には「後期医療保険料の特例廃止」という見出しが2面に出ていました。75歳以降の保険料が上がるということで、これから75歳を迎える人たちは負担が増えることになりそうです。

 また、どうやら安倍総理は国の借金を減らす対策を講じているという姿勢を世界に示すために、庶民に負担を強いる10%への消費増税を決断しつつあるようだという解説記事が今日の新聞にも出ていました。

 庶民の生活苦が増せば、消費はますます落ち込み、経済は発展どころか衰退する一方のような気もしますが、それでも国の借金を少しでも減らす努力を見せないといけない、という判断なのだと思います。しかしこれは国のために生活苦を我慢せよという、冒頭の論理と同じだなという気もします。

 (ただしそうしないと国債の信用がなくなり、もっと悲惨な状態になるという論理も理解しているつもりです)

 一方この調子で税金を上げ、各種保険料の負担を上げ、年金等の減額を行っていけば、いずれ多くの高齢者や庶民の生活が破綻する状態が、はっきりと目に見える形であらわれるような気もします。

 しかも消費税は、一説に寄れば30%ぐらいにしないと財政再建はできないという考えもあるようですから、普通の感覚なら「そりゃ無理だろう」と思えます。

 そういった将来の危険性を察知している識者の中には、資産の一部をすでに海外に移転しているというような話しを先日ラジオでやっていました。

 ということは、何か起きたときに取り残されるのは、何も考えずに黙々と働いてきた庶民であるような気もします。さてどうするか?老後の生活資金として貯蓄してある資産の一部を外貨に変えておくのが一番良さそうですが、本当にそれで良いのか?
 
 海外旅行のためだけでなく、生活防衛のための外貨預金を本気で考えておかないといけないなと思うようになっています。 


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