自分の金じゃないから気楽?

投資信託運用者の気持ちを推測すると(2015.11.26) 

 時折実家の母親から、今まで使っていた電気製品が壊れたので買い替えたいんだけど、どれがいいか分からないから買ってきて欲しいと電話で頼まれます。

 しかしただ買ってきてくれと言われても、どんな製品が希望なのか不明なので、実家に出向いて今まで使っていたものを確認し、そのうえで「予算」、「必要な機能」等を聞いてきます。

 さらに「価格.com」というレビューサイトを見て、予算内で人気のある機種を選び、その製品番号と価格をメモして、近所にある電気屋さんへ行きます。

 これで実物を確認して、年寄りでも使いやすいかどうか文字の大きさを見たり、実際の大きさを確認し、さらに必要以上に機能がついていないかを確かめます。

 最後に値段を見て、通販価格と比較して、そのまま買うこともあれば、いったん家に戻って通販で買うこともあります。しかしこの時「よし、これを買おう」と決断する心境というのは実に気楽です。

 もちろん母親の使い勝手を真剣に検討して決めるわけですが、結局お金を出すのは母親であり、使うのも母親です。買ってしまえば、あとは初期不良が起きない限り、買ったことすら忘れてしまいます。

 というわけで、これが前置きなんですが、要するに銀行や証券会社が設定している投資信託は、こういった色彩が強いなと感じてしまいます。

 つまり、華々しい宣伝文句を並べ、今これを買えば、今後は大きなリターンを望めるという幻想を購入者に抱かせ、あとはともかく投資をしてもらえば、そのお金の利用は自由自在。

 極端なことを言えば、適当に?優良銘柄を購入し、あとは知ったこっちゃない。という姿勢で臨んでも、株価上昇時期ならそこそこ基準価額も上昇しますので、購入者側も満足します。

 一方幸か不幸か株価が下がったり低迷している時は、当然基準価額も下落しますが、地合いが悪いのでとか、日本全体の景気が悪化して株価が下がっているのでというような理屈をつけると、該当する投資信託の基準価額が下がっても、それが立派な言い訳になります。

 ということは、ともかく華々しい宣伝をして(宣伝費用も購入費用に含まれるはずですが)、とりあえずお金を預けてもらえば銀行や証券会社が母体となっている投資信託の第一の使命は終了したといえそうです。

 銀行や証券会社に対してかなり辛辣な悪口であるようにも思えますが、購入者側として、そのぐらいのことを考え、かつ覚悟しないと、投資神託は迂闊に買えないと思っています。

 要するに前置きで書いたように、運用担当者に限りなく善意があったとしても、最後の部分でこれは自分の金ではないという気持ちが少しでもあれば、その投資で自分の生死が決まるというような気持で投資活動を行う姿勢にはならないということです。

 これは別に運用担当者を責めているのではなく、人間だったら誰しもそういう感情を抱くだろうなということです。

 というようなことを考えて、私は投資信託の運用成績が、その会社や運用担当者の処遇に直接響くような投資信託を買いたいなという気持ちになっています。


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