何もできなくなった時の選択肢

多才な能力のある大橋巨泉さんの最後の手記を読みました(2016.6.28)

 最後の迎え方はどうあるべきか、なんてさんざん悩んでいるうちに最後が来てしまいそうですが、なんだかちょうどタイミングよく、週刊誌に大橋巨泉さんの最後の投稿が掲載されたようです。

 私がこの方を知ったのは中学生ぐらいだったでしょうか。もしかしたら高校?記憶がはっきりしません。名前を知ったのはテレビの「11PM 」という番組の司会者だったからではないかと思います。

 時間帯から分かるようにちょっとお色気を含んだ番組で、まあ思春期ですからちょっと胸をときめかせて見入っていたように思います。

 そのとき、この人はなんと多彩若しくは多才な人なんだろうと思ったことを今も覚えています。とにかく博学?であるように見えました。

 番組ではゴルフ、麻雀、将棋、釣り、競馬、ジャズ、ボウリング等々、その頃面白い若しくは流行していると思われるジャンルについて、ともかくなんでも水準以上のことをやってのける人で、「これだけ遊んで飯が食えるなんて実に羨ましい」と思っていました。

 もしかすると、その頃から私の心の中に、「働くだけなんてばかばかしい、遊ぶために働くんだ」という労働哲学?が出来上がったように思います。

 実際巨泉さんの足元にも及びませんが、私自身の若いころからの趣味を振り返ってみると、将棋、切手収集、ギター、フルート、ボウリング、旅行、読書、パチンコ、ビリヤード、カラオケ、ドライブ、釣り等々、仕事以外に実にいろいろなことをやってきたなと思います。

 そして現在、この中から旅行、フルート、読書と言ったものが生き残り、さらにそれに加えて、こういったブログ書きや家庭菜園、ウォーキングが加わっています。

 もし子供時代から現在に至るまで趣味というものがなく仕事一途だったら、今のように退職後の生活が忙しいと感じることはなかったかもしれません。

 一方、潜在的に大きな影響を受けたのではないかと思える巨泉さんが、次々とガンを発症し、その都度なんとかそれを駆逐してきたという事は、ここ数年で初めて知りました。

 週刊誌の記事を少しだけ立ち読みしましたが、抗がん剤との相性が悪かったようです。ガンとの闘いは、私の妻もそうでしたが、ガンそのものより、度重なる手術や抗がん剤による体力が削られてしまうことが結構大きな壁になっているように思います。

 巨泉さんも「もうそろそろいいか」と考えているようですが、自分で最期を選ぶ権利は日本では認められていないとのことで、記事を読みながら昨日書いた自分の記事を思い出していました。

 私は自分の最後を好き勝手に決めることができるような制度があったほうが良いとは思っていませんが、自分が意識もかすれ、回復の望みもなく、ただただ機械やチューブに繋がれた状態で、やりたいことは何もできないという状態になったとしたら、選択肢の一つとして考えても良いような法整備をする必要があるのではと思うようになっています。


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