誰かにとって価値があるものを残したい

買いたいもの、残したいもの(2017.1.3)

 穏やかな三が日ですね。私は少し遠出をしてみましたが、目的としたデパートの駐車場が混んでいて、そのまま諦めてUターン。待っていれば空いたと思いますが、そうまでして買いたいと思うものがありません。

 帰り道でレストランに入って、豚肉の生姜焼き定食を食べました。肉厚の豚肉が4枚、味噌汁等もついていて合計1360円ぐらい。久々に豪勢?な昼食でした。

 本当はもっと安くあげるつもりでしたが、目的の店はまだ三が日で休みでした。しかし私の周囲では家族連れやグループが最低でも1品1000円ぐらいする食べ物を追加注文して食べていましたから、結構お金は余っているんだという印象を持ちました。

 テレビでも正月の雰囲気をいろいろ報道していますが、30代のぐらいの人たちが、レストランで遠慮なく食べている姿を見ると、本当に不況なのかなあという気がします。

 まあ今の時期はボーナスも出て、若干懐も温かいのかなという気はします。私も現役時代は懐に10万円ぐらい忍ばせて、デパートに行き、ちょっと格好良いと思われるブレザーを探したりしていました。

 当時買ったブレザーは、今もそのままクローゼットにかかっていますが、退職したらそういった物を着る機会が全くなくなってしまいました。

 買った当時は「格好いい高級品だ」と思っていて、いつまでも着るつもりでしたが、着る機会そのものがなくなっていくという事に気が付いていませんでした。

 その意味では10万円もした背広や数万円の礼服も今はほとんど利用してません。もしかしたら必要かもしれないなんて考えて買ってしまったものは多数。

 結局すべてがゴミになりつつあります。もしこれらのものを買わずにそのままお金を貯めていたら、資産は今よりも100万単位で多くなっていたのではと思われます。

 幸いにして、そういった服飾関係ではかなり無駄があったなと思っていますが、以前も書いたように物持ちは良い方なので、古い電気製品、古い雑貨の類は今もいろいろ残っています。

 という事はそこで浪費はしなかったということであり、やはり100万単位で資産が増えているのかなと思えます。というわけでお金の消費は幼少時代からの習慣にあるのかなと思えますが、同じ給料でたまる人とたまらない人がいるのはこのあたりの違いであるような気がします。

 最近私は生死の境を彷徨って、だいぶこれまでと価値観や人生観が変わったなと思っています。明日この世にはいないかもしれない、と考えたとき何をするのか?何が欲しいのか?そしていなくなった後に何を残すのかという事をよく考えます。

 いろんなものを買っても、自分だけの利用で買ったものは、本人がいなくなればゴミに近い存在になります。1000万円の車であっても、息子が気に入らなければゴミになります。

 自分のいない後も残るようなものなら、だれもが使えるもの、誰かにとって価値があるものを残しておきたい、というように考えるようになりました。

 ただしそれがいったい何なのかはよく分かっていません。もしかすると今書いているこういったブログの内容が、息子が後で読んだとき一番価値があるのではと少しずつ思うようになっています。 


表紙に戻る 最後への備え 自分の最後の形