本当に必要な物は何なのか?

不要品の処分(2013.2.21)

 確定申告が無事終了しそうなので、次は何をしようかと考え、これまでサボってきた家の中の整理(少しはやりましたが)に手をつけようと考えています。

 先ずやらなければならないのは不要品の処分。まったく使っていなかったり、半分壊れた電器製品。古くなって使わなくなったコンピューターや液晶ディスプレイ。

 いつ買ったか分からないような雑貨類、小物類。そして極めつけは、それこそ10年以上前に買ったと思われる大量の衣類

 私自身はほとんど買っていないつもりですが、物持ちがよいせいか、毎年夏と冬に出し入れしていつでも着られる状態なのに着ていないものがいっぱいあります。

 また仕事柄買い込むことが多かった書籍類。趣味の旅行のために買い込んだガイドブック類。こちらは10年経ったら捨てるようにはしていますが、はっと気がつくと本棚を占有しています。

 やはり人間60年も生きているといろいろなものがあるものです。

 そういえば、早期退職をした直後は、冷蔵庫や棚の奧に眠っていた古い食品の処分が大変でした。すでに赤さびがついているような缶詰が出てきたりして、どうやって処分するんだと途方に暮れました。(中味を開けて分別しましたが)

 さらに滅多に割ったりしない食器類。これももらいものでしょうか?私自身がこれまでに買った食器と言えば、結婚当初に買ったワイングラスと、バンコクで買ったお土産のコーヒーカップぐらいです。

 そういえば小樽でもビールジョッキを買いましたが、安かったせいかすぐヒビが入ってしまいました。陶器製のジョッキは、ビールの景品等でもらっていて、それがいくつも棚の中に眠っています。ハワイでもらったマグカップが10個ぐらいあります。

 他にも、使わなくなった寝具類とか、座布団、更には息子が小さいとき遊んでいたおもちゃ類。いくつかは捨てたりオークションに出したりしましたが、それでもまだまだ大量にあります。

 というわけで、それらの処分は、オークション、寄付、ゴミとなるわけで、早めに処分して、スッキリした家に住みたいなと考えるようになってきました。

 というのも、連れが亡くなったとき、その所持品の処分に困ったからです。思い出があって捨てられない。もったいなくて捨てられない。そういったものが今でも残っています。

 そう考えると、家の中には実に無駄なものが、もらい物も含めて有り余っているなと思えます。これが本当に便利な消費生活の結末なんだろうかと、時々大量のゴミを持ち出しながら考え込んでしまいます。

 テレビでは朝から晩まであれを買え、これを買え、これが便利だ、あれは体によい、と叫びたてていますので、いつのまにかそういった刺激が潜在意識に蓄積され、つい消費行動に走り無駄なものがたまっていくという気がしてしょうがないです。

 その意味では最近形に残らないもので、精神的によいものを得ようとしています。それの最たるものが旅行かなと考え、出かけても食べ物以外のお土産は買わず、せいぜいが現地の写真を撮り、ハードディスクに保存するぐらいです。これなら場所も取りません。

 というわけで3月からは少し家の中の整理をしようと思っています。とりあえず今日はクローゼットの奧に眠っている古着を少し処分しようかなと思います。これも節約の一種ではないでしょうか。


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