絵に描いたような悠々自適な生活?

定年後の自分の居場所(2012.4.20)

 早期退職をした後、まったく仕事をしなくてもギリギリカツカツの節約をすれば生活は出来るというシミュレーションが出来ていました。

 つまり朝起きて息子の弁当を作り、息子を送り出し、その後のんびり朝食。食器を洗って洗濯。その後はブログを書いたり読書をしたり、好きな音楽を聴いたり。

 昼近くになったら昼食準備を兼ねて買い物。午後は若干の昼寝や家庭菜園の世話、そして読書やコンピューター、ウォーキング等で遊び、5時になったら夕食準備。一杯飲みながら息子の帰りを待ち、夜はテレビを見たり、レンタルDVDを見たり。

 絵に描いたような早期退職の悠々自適な生活ですが、なぜか「それではいけない」という意識がありました。これは経済的な問題ではありません。

 逆に経済的な問題がないなら、「今こそ自分の好きなことが出来る」し、どうせなら、もう少し人の役に立つことをして、自分の存在意義を見いだしたい、と考えている自分がいました。

 また社会と何らかの接点を保っておかないと、独りよがりの偏屈な生活を送るじいさんになってしまうのではないかという恐怖感もありました。痴呆症と言う文字もちらついていました。

 定年退職後はアレをしたい、これをしたい、と考える人は多いと思いますが、いざそうなったとき本当にそれが出来るのか?自分の気持ちを振り返ると、やはり自分は社会との接点を求めていたなと思えます。

 それは自分自身の存在意義をもう少し確かめたい、もうちょっと人の役に立って、自分という人間がまだ社会に必要なんだという、未練めいた認識かもしれません。

 その意味では、まだ退職者として自立していないのかな、とも思えます。結局人は、自分がまだ必要とされていることを認識できないと不安でしょうがないと言うことなのかなとも思います。

 「もうあんたは退職したんだから必要ないよ」ともろに言われたら、凄く落ち込むと思います。

 社会の中で自分の居場所があるかどうか。昨今日本では自殺者が増えていますが、こう言ったことも関係しているのかなと思えます。

 ということは、あらためて先ず家庭の中での自分の居場所というのを考え、次に地域、さらには興味に応じてサークル活動やボランティア活動、場合によっては簡単な仕事、と言うのが大事ではないかと思えます。


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