傲慢資本主義の復活?

ほどほどにがんばる生き方を目指したいのですが(2015.4.23)

 暖かくなって、日の出が早くなっているせいだと思いますが、ここ数日早起きが続いています。と言っても6時ぐらいの起床です。しかし6時に起きてカーテンを開けると、すでにサラリーマンの方が背広を着て会社に向かう姿を目撃したりしますので、大変だろうなと思ってみています。

 昨日も書きましたが、裕福な人はますます裕福になり、そうでない人の生活は今後も大きな改善は望めない、というのが今の政権の政策だと思っていますが、その中で自分のポジションはどうなのか?そして今後どうするのか?ということも一応考えています。

 これまで書いてきたように、今現在保有している資産に加えて年金を受給し、ネットでわずかな収入を得ることにより、今後年金減額や物価上昇があったとしても、とりあえず家計は何とか持ちこたえるだろうと考えていますが、老人ホーム等の大きな負担が生じる可能性も否定できません。

 その意味では、大多数の方が考えているのと同じように、少しでも多くの余裕資産を持ちたいと私も思っています。というわけで朝早く起きると、テレビ東京のモーニングサテライトなんぞを眺めて、今日の情勢はどうだ?と、わずかな株式投資の参考にしています。

 今日も見ましたが、やはり日経平均が20000円を越えたというインパクトは大きいようで、急に今後は22000円を突破するという強気の見方が増えたように感じました。

 それはそれとして、テレビを見ながら朝食をとり、朝刊を読むのですが、今日の毎日新聞11面の「時論フォーラム」というページの「傲慢資本主義の復活」というコラムが面白かったです。

 ネットでこの記事を見つけることが出来なかったので、関心のある方は図書館で確認すると良いと思いますが、株を保有している人としていない人の格差がますます広がり、儲かる人だけが優遇されるという傲慢な社会がちかづきつつあるという警告です。

 著者は日本大教授の水野和夫さんという方ですが、結論は地方創生ではなく、市場経済以外は眼中にない「東京」の「創生」であるとまとめています。

 要するに、寄ってたかって弱者から収入や労働を吸い上げる構造が出来つつあるということなのかなと私は解釈しました。

 そうするととるべき道は三つ。必死にがんばって余裕資金を生みだし、吸い上げる側に立つ。ほどほどにがんばって、ひたすら吸い上げられる層に転落しないように努力する。諦めて、生き延びることだけを目指す。

 まああまりにもいい加減な場合分けですが、当然お気楽生活を目指す私としては2番目を選択します。さらに1番目にはなりたくないという気持ちも少しだけあります。

 ただ実際に何かの拍子に、突然何億という資産家になってしまった場合は、結構傲慢な気持ちになってしまい、収入が少ないのは努力が足りないからだと偉そうに訓示を垂れているかも知れません。

 実際すでに一生使い切れないような資産を持っていながら、さらにその増大を目指す資産家が多いようで、人間の我欲は際限がないとも思えます。


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