好きなことはやれますが

退職後はすべてが自己責任、自己管理(2015.5.27)

 ブログを書くための記事のネタ及び私自身の生き方の参考にするため、早期退職に関するニュースを時々読むようにしています。そんな中、ちょっと気になるニュースというかテレビ番組を発見。すでに見た方もいるかも知れません。

 NHKの「目撃!日本列島「ニックネームからの再出発〜サラリーマンの”人生塾”〜}という番組ですが、番組内容は「早期退職や役員定年制で退職した人たちの再就職先を探す苦闘の物語」ということです。

 今の時代、40代、50代の人が普通に就職すると考えても、その就職先はかなり限られると思われます。ところが役員退職のような場合、それまで所持していた肩書きや企業名が失われたにも関わらず、それに寄りかかろうとしてしまう方が多いようです。

 その結果いくら努力しても新しい就職先が決まらないという結果になり、そこで先ずそういった大企業病を直すために「人生塾」という塾に入り、自分を見つめなおすということが必要になるという主旨のようです。

 ちなみに出演者は皆さん大変真面目な方のようで、人生塾でも必死に自分を立て直そうとしているようです。それでも駄目な場合どうするのか?

 番組の内容はちょっとおいておいて、何回も書いていますが、私が57歳で早期退職をして、4月1日を迎えたときの心境というか開放感は格別でした。

 これで束縛から解放された。文科省や教育委員会、校長や教頭からの指示にいちいち付き合う必要はなく、会議に原案を提示したり、他人の原案に注文をつけたりする必要が無くなったということで、これまた何回も書いていますが、血圧が10〜20ぐらい下がったように感じました。

 一方で、ここから先は、自分が計画した人生を地道にやり遂げればなんとかなるはずだという、事前の将来シミュレーションも出来ていましたから、安心感もそこそこありました。

 朝起きて、今日から仕事が無いんだと思ったときの感触は、我ながら不思議な感じで、家庭用のゴミを集積場に出しに行ったとき、駅に向かって歩いているサラリーマンの方を見て、なんだか申し訳ないような気持ちになったことも覚えています。

 ただし、もちろん良いこどづくめではないということも分かっていました。上記の番組にも関連することですが、私は公務員でしたが、その後ろ盾?のようなものが無くなったという認識もありました。

 表面上3月31日から4月1日になっただけですが、私の地方公務員としての資格?が失われたわけで、それはある意味一人で生きていかなくてはいけないという認識だったと思います。

 重大な病気になったとき、有給休暇を取る必要はないものの、共済組合からの各種補助金は一切期待できません。つまり健康維持も、職場から言われたから人間ドックにかかる、という発想ではなく、自分が必要だと思ったから金を払って診療してもらうという発想に変わったということです。

 給料も当然もらえませんから、何らかの収入を考えないといけないと思い、私はネットの収入を目指して、今日までなんとかわずかですが収入を維持しています。

 要するにすべてが自己責任、自己管理の世界に入ったということで、好きなことをやれる反面、その結果はすべて自分が負うという認識になりました。

 幸いにも非常勤講師という職があり、家計の破綻ということは免れていますが、これも退職前半年間の度重なるシミュレーションの成果だと思っています。

 とはいうものの、まだまだこの先波乱はありそう。まあそれを面白おかしく乗り越えていくのが人生だといえるのかもしれません。


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