人との関わり合いが大事

自分から積極的に動いてときめきを見つける(2017.1.6)

 日本老年学会という団体が5日に新しい高齢者の定義を発表。今までは65歳以上だったのを一気に年齢を上げて75歳以上にしたらどうかという提言です。

 確かに私の近所で生活している70歳前後と思われる人たちは皆さん元気です。家庭菜園で朝から土を耕し、それが終わると家の中のごみを集めて集積場に運搬。

 朝食後は再び家庭菜園やちょっと出かけて家の用事をすませ、1日中いろいろと動き回っている人が多いように思います。それを見ていると、確かに高齢者の定義はもっと上の年齢でもいいのではという感じもします。

 しかしいつも思うことですが、見えることと見えないことがあります。私の場合は63歳になった昨年クモまく下出血であわやこの世とお別れかという事件に遭遇しました。

 また近所の人で普段から家の外に全く出てこないような人もいます。理由は不明です。もちろん何も問題はないのかもしれませんが、ほとんどその姿を見かけない人がいることは事実です。

 つまり元気そうに家の周りを動き回っている人もいれば、どこか体調を悪くして家の中にこもりがちな人もいるということです。元気な人が多くなったということは間違いないのだと思いますが、私は65歳以降は個人によって体調の差が大きくなると思っています。

 そんな時体調が良く元気な人を基準にして考えてしまうと、70歳までは働かなければならない、というような強引な理屈かまかり通ってしまうような気がします。

 人の健康は60歳を過ぎると、その差がどんどん開いていくような気がしていますので、それらを年齢だけで区分するのは無理があると思っています。

 まあ老年学会の提言は、単に元気な人が多いから定義を少し上に上げようという意図だと思いますが、これが万人の支持するところになれば、労働人口が減少しているんだから働かなくてはいけないと言い出す人が出てくるはずです。

 またそうなれば年金は70歳、もしくは75歳からもらえれば充分だろう、という言い方をする人も出てくるような気がします。

 今回の提言を深読みすると、年金受給年齢の引き上げへの地ならしではないかという気もするのですが、老年学会と政府がどの程度関係あるのかということがよく分かりません。

 ちなみに昨日ときめきを感じないと書きました。改めて今日「シニアのときめき」というような語句でネットを見ているのですが、実際に検索すると、ときめき=男女の交際やら婚活というページばかりが出てきます。

 ということはシニアであってもやはりときめきを感じる場面は男女間で生じることが多いようです。私は、例えば高級車を買って納車待ちとか、ついに念願の資格を手に入れ、そこから新しいステップに踏み出すとか、なんか恋愛とは違うことを想定していました。

 その意味で、今後私自身も病院で検査を経て、もう大丈夫というお墨付きを得られるなら、フルートの演奏の再開とか、あちこち海外旅行とか、さらには稼ぐ額は気にしなくていいので、何か仕事を始めようかなと思うようになりました。

 ときめきは人とのかかわりあいの中で生まれてくるものだと思います。ただ何か良いことが起きないかなとじっと待っているだけでは、このまま朽ち果てていくのではという気がしてきました。

 政府や老年学会が「お前はまだ働ける」とか「高齢者になったんだから年金をもらっておとなしくしていろ」といういう前に、やるべきことを自分で見つけて楽しまないといけないなと思い始めました。


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