同じことの繰り返しに意味はあるか

2017.3.16

 手術をして六か月半、リハビリ病院を退院して約四か月が過ぎました。最初の一二か月は、入院以前の生活に戻るべく、ともかく体力を回復し、これまでと同じ生活ができるように体操やリハビリを行っていました。

 さらにその時期を過ぎると通常の生活が戻ってきましたので、少しずつ活動領域を広げています。最初は買い物も家のすぐ近くにあるスーパーでしたが、やがて少しずつ範囲を広げ、片道車で30分〜1時間ぐらいかかるスーパーや観光地への移動。

 さらに最近は片道2時間ほどかかる水戸大洗への1泊旅行を行い、達成感と共に、体力が落ちたなという自覚も覚えました。一方日々の生活はほぼ日常生活が戻っていますので、午前中ブログの更新、午後は買い物や雑用と毎日同じことの繰り返しです。

 しかしそうなると人間欲が出るもので、こんな生活をこれから何十年も続けていって、豊かな老後といえるのだろうかと疑問がわいてきます。

 まあ贅沢悩みだなと自分でも思いますが、日々少しでも豊かで充実した生活をしたいと思っているので、どうしてもこういう発想になります。

 そんな中、四か月前の退院以来、毎朝ラジオ体操やストレッチを続けているのですが、四か月目の最近になって細かいことですがいろいろと気が付くことが出てきました。

 要は継続していると新しい工夫が生まれるということなのですが、ラジオ体操第一は最初に両手を上に上げて、そのまま横に下ろすという、日本人ならほぼ100%の人が知っている動きをします。

 しかし学校で教えてくれる体育やNHKが朝放映しているラジオ体操の番組では、見本の体操は見せてくれるものの、細かいコツに触れることはほとんどないです。

 そんなラジオ体操ですが、もっと体を柔らかくして力強いラジオ体操を行えないかと時折考えます。つまり最初に手を上に上げる動作一つとっても、デレ〜っと上げる場合と、すっとあげる方法があるわけで、どちらが体に良いかは自明です。

 手を上に上げてから下に下ろす動作も漫然とやれば、重力の法則に従ってほとんど意識しないでできますが、肩の筋肉を意識して、なるべく大きく動かそうと努力すると、これが結構な運動になるということに最近気が付きました。

 さらに次は両手を前で交差させてから、横(体側)に振り上げる動作ですが、その時足はどのくらい曲がっているかを考えると、適当にやるとほとんど曲がっていないことが分かります。

 これをしっかりやろうと意識すると、まるでスクワットをやっているかのような足の曲がりになり、かなり疲れます。さらに両手を体の横に上げるという動作がそれに続きますが、その両手はどこまで上げるのか。

 適当にやれば水平よりも下の位置で満足してしまうわけですが、これをきちんと肩の動きを意識して斜め上までも持ち上げると、かなり肩の筋肉が必要だということに気が付きました。

 以下すべての動作がこういったことに準じるわけで、同じことを繰り返していても、それを行う人の経験と意識次第でその動作をいくらでも充実させることができるようです。

 ただしこういったことは、体操を始めたばかりの初心者に伝えても実感が伴いません。要するに同じ動作を四か月毎日繰り返してきたことで最近気が付くようになったということです。

 というわけで結論。同じことを繰り返す日々に意味があるのかということですが、それは繰り返す人の意識がまず大事。前日よりも今日は少しでも良い生活をしようという意識があるなら、生活は変わるということです。

 ただし日頃から自分の生活はどうあるべきか、もっと豊かな生活にならないかということを前向きに考えることが大事ですね。ネットの情報や巷の生き方ガイドブックには「こうすれば充実する」みたいなノウハウが簡単に書かれていますが、そのノウハウを生かすには日頃から一生懸命努力しているかという姿勢が必要な気がします。


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