夢を見失ってしまった高齢者たち

2017.4.10

 金曜までは暑いぐらいでしたが、土曜からは平年並みの気温に戻った感じです。近所の桜は散り始めましたが、まだ満開状態を保っています。

 すでに入学式や始業式も終わっていると思われますが、関東地方では桜の下の記念写真がたくさん撮影されたのではないかと思います。

 今日は4月10日ですから、4月から就職した新入社員は土日に「心底疲れた」と思って休んだのではないでしょうか。問題はその後、今日の月曜日にまたフレッシュな気持ちで出かけられたかどうか?

 テレビでは、入社一週間で早くも退職なんていう話題が取り上げられていました。私の息子がバイトをしているコンビニでも、つい最近一か月働いた新人?が止めたそうで、その後を埋めるバイトが見つからず、息子にも急遽代役が回ってきているようです。

 振り返ってみると、息子もほぼ1年続いていますので、よく頑張っていると思います。意外に粘り強いんだなと、少し見直しました。
 
 ちなみにやめた子の理由を聞いてみましたがどうもはっきり分かりません。なんとなく友達同士でバイトを始めて、だんだん面倒になって辞めてしまうという子が多いようです。

 経済的にも、お金が足りないから働くという厳しい環境で働く子は減っていて、こずかいはもらっているけど、もう少しお金があったらとか、友達同士で「じゃあやるか」という気軽な動機で始めているような子も多いようです。

 その意味では、家庭の経済状況が思わしくなく、ともかく勉強しながら放課後コンビニで働くという、一般の人が考える動機が通用する子は減っているのかもしれません。

 しかし意欲がなく覇気もなく、やりたいことは特になく、なんとなく海の中の海藻のように、周囲の潮流にもまれながらユラユラ生きているという弱さを感じてしまいます。(最も海藻はしっかり根を張っているので、海藻に失礼なコメントかもしれません)

 だからこそ時折ニュース等で流される、海外の子供たちの勉学意欲や遊びへの情熱、覇気のある動きや瞳の輝きがまぶしく感じられるんだと思います。

 しかし改めて振り返ってみると、これは子供だけじゃないなと思えます。つまりドロ〜ンとした目で、何を考えているか見当もつかない大人が増えたようにも感じます。

 もしかすると大人も子供もシニアも生きる目標、喜びを見失ってしまい、何をしたら満たされるのかが分からなくなっている時代になってしまったのかもしれません。

 恥ずかしい話ですが小学生の頃は、学校の先生も含めていろいろな人から「大きくなったら何になりたい」とよく聞かれました。どう答えたかほとんど覚えていませんが、先日およそ50年前の小学校卒業時に書いた文集を発見。

 その中に何になりたいか夢を書くページがあって、懐かしいなと思ってみていたら、私自身はここに披露するのも恥ずかしいのですが、臆面もなく「代議士になりたい」と書いていました。

 当然ながらその頃の他愛のない夢ですが、その後中学高校を経て、仕事は教育畑で教員をしようと思うようになり、紆余曲折はあったものの何とか教員として30数年間過ごしました。

 そして早期退職。ふと気が付いたら、「何になりたい」と聞かれても答えられない、答えを思いつかない年齢になっていました。このあたりが最近良く感じる「ときめきを感じられない人生」になった原因かなと思っています。

 結局人間は年を取りながらも、夢や目標を設定し、それを一つ一つこなしていくのが人生なのかなと思います。ところがある時そういった夢や目標がなくなっていることに気が付き、「ハア〜なんだか空しいな」というため息が出るのだと思います。

 というわけで結論はないのですが、やはり夢を持ち続けるのは大事ですね。そしてそれを実現すべく日々努力している人の瞳はキラキラ輝いているという事になりそうです。


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