「継続は力」という諺を実感

2019.5.10

 ちょっと遅めの6時50分に「よく寝たア〜」と思いながら起床。カーテンを開けるときれいな青空で暖かくなりそうな気配。

 階下のリビングに降りて朝食はご飯。おかずは昨晩作った新玉ねぎとカツオの和え物。野菜炒めを食べようと思ったら、息子が昨晩すべて食べつくしてしまったようで計算が狂いました。

 まあそれでも野菜を食べるのはいいことだし、食べつくすほど味も良かったのかなとちょっと我ながら満足です。妻が入院するようになった11年ぐらい前から、学生時代を思い出し、「節約しないいけない」と思いながら手料理を開始。

 当初は、「こんな味かあ」とがっくりすることも多かったのですが、それでも料理補助食品等を利用して作り続けて10年以上が経過。

 包丁もそれなりに手になじみ、味も少しずつですが改善。この間時にアマゾンで中古の料理雑誌を購入したり、ネットのレシピを検索したり。

 まあ下手くそなりに、最近はそれなりにおいしいものが作れるようになったなと思っています。またレパートリーも少し広がったうえに食材に関する知識も増加。

 さらに周辺スーパーに行って、セール商品を買ってその商品を利用したレシピを考えるということも普通にできるようになりました。「早い話が継続は力」ということですね。

 しかしそうやって自分の生活を改めて見直すと、長い間続けていることはそれなりに力が付くということを実感できる年代になってきたなと感じます。
 
 私の場合は海外旅行、釣り、家庭菜園、料理、音楽鑑賞、読書とまあ、いろいろなジャンルに渡るのですが、それぞれ若いときにはできなかったことができるようになったなと感じます。

 一方加齢や病気に伴って体力や器用さが少しずつ減退。一番悔しいなと思っているのは、楽器演奏。ギターはずいぶん練習しましたが、最近は全く指が動きません。

 フルートも一時期復活を目指して練習を再開しましたが、クモ膜下出血を経験して、指の細かい動きに不便を感じるようになり、目下ほこりをかぶっています。

 結局高齢になるということは、今まで気軽にできたことが少しずつ損なわれていくということなんだなと思っていますが、それに抵抗するすべはなさそう。

 ただその過程を遅らせることはできそう。その場合は、「今何をすることが必要か」ということをしっかり見極めて、ほんの少しでもいいから実行を積み重ねるということでしょうか。

 というわけで、朝食後はいつものようにバンコクブログとハワイ関連ブログの更新。一段落したところで市民農園に行き、寒さでやられてしまった苗の復活状況を確認。

 帰りにスーパーによって今日の昼食と夕食のおかずのための食材を調達。先日の家計簿整理でちょっと支出が大きくなっていることを確認したので、今日はケチャップライスに決定。

 ひき肉とピーマンを購入。玉ねぎは購入済み。さらに昼食は最近ちょっと凝っているナポリタンにしようと思い、ソーセージを追加。その他のパスタ麺等の食材は棚の中に入っています。

 さらに朝食用のパンを買って合計が1200円ぐらい。目標額クリアで満足して帰宅。ナポリタンを食べた後は図書館へ。最近ちょっとタイという国が成立する歴史に興味を感じて調べています。

 2冊ほど歴史本を借りてきましたが、ほかにも読みたい本が数冊あり、借りてきた本を読むのはいつになることやら。しかし知りたいことが一つ出てくると、そこから先、興味がどんどん広がります。



生きる目的を見失っているシニア


老後の人生観3


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