加齢と共に親の世代の方が亡くなります

お世話になった方の告別式に出席して思ったこと(2013.7.16)

 土曜日の夕方、私はメールをチェックして、今から35年前、私の父親が急逝して以来、何かと私の生活に気を使ってアドバイスをしてくれていた親戚の方からメールが来ていたので返事を書いていました。

 私より20歳以上年上です。いつものように近況報告が主でしたが、私もいつものように近況を知らせる返事を8割方書き終えた頃実家の母親から電話。

 母親も80を越していますから、連日の猛暑でダウンしたのかと思い電話に出ると、私が返事を書いていた方が突然亡くなった、という知らせです。

 私よりも早起きで、メールを送信してきた時間は早朝の5時過ぎ。文章にまったく乱れはありません。通常通りです。

 その後家族の人がちょっと用事があって数時間家を留守にしたところ、ご本人はメールを書いてから少し体に違和感があったのか、再び布団に横になったようです。

 ところが、家族の人が帰ってくる頃には、すでに息がなく、体温も失われつつあったということで、まさに突然の他界。一応病院に運ばれて蘇生術等も行われたようですが、すでに心肺停止。原因は動脈からの出血みたいです。

 しかしほんの数時間前まで普通の生活をしていたのに、こんな事があるんだと、家族の方も私もなんだか信じられない思いの数日間です。

 私の父親の場合は心筋梗塞でした。51歳です。それ以来私自身精神的にぐらついたときが何回かありましたが、その都度ある程度支えになってくれた方なので、出棺の際は涙が出てきそうで困りました。

 というわけで、急遽愛知県までの1泊2日ロングドライブを敢行。新幹線でも良かったのですが、三連休ですから混雑するのは目に見えています。

 また最近は車での移動が多いので、座席の予約等、どの程度の空席があるのかとか、ネットでも分かるようですが、そんなことをいちいち調べる心境でもなかったです。

 さらに自宅が埼玉県なので東京駅まで2時間近くかかります。猛暑の中旅行用品と喪服等を持って移動は面倒に思え、買い換えたばかりの新しい中古車(変な表現ですが)で、行きは5時間半、帰りは6時間かけて往復。ETCの割引きがあったので、トータルすると車の方が安くなったと思います。

 前回の告別式は私の妻、今回はお世話になった方ということで、喪主とは違いますが、年齢を重ねると共に、当たり前ですが身近な人たちが、少しずつ数年ごとに欠けていきます

 人間に寿命がある以上これは仕方がないことですが、告別式一つとってみても、若いときには、それなりに悲しい出来事だったと感じていましたが、今は自分の順番はいつなんだろう?自分の時はどんな形式で行われるんだろうか?息子に希望があったら伝えといた方が良いか?。

 さらに、遺品の処理方法や、通帳等の管理、さらには日常生活で伝えておいた方がよいことを、日頃からまとめておいた方がよいか?しかしあまり先走って人生の終焉を考えるのも、まるでそれを待っているかのようで、出来れば考えない方が良いんだろうか?等々、頭の中を、自分の場合に置き換えて様々な事が去来します。

 告別式というものが、これまでよりより一層大きな意味を持つように感じられるような年齢になったんだなと思っています。
 
   
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