飄々と生きる

尾崎士郎「人生劇場」の中の一言(2014.9.6)

 尾崎士郎が書いた「人生劇場」という本があります。改めてウィキペディアでこの「人生劇場」について調べてみると、最初の単行本が出版されたのが1935年だそうですから、今から80年ぐらい前の小説です。

 その後新潮文庫で出版とありますから、私が読んだのは、この文庫本の方だと思います。

 全11巻という長い小説ですが、すべて読みました。大学生の頃だと記憶していますので、今から40年ぐらい前。ちょっと自分の生き方や進路に自信が持てなくなって迷っていた頃です。

 小説の中身は、作者の自伝を主題にしたもので、青春時代からの一生を描いています。主人公の名前は今でも覚えている「青成瓢吉」。

 細かいことはどうでもいいのですが、この超長い小説のどこかの一説に「飄々と生きる」という語句があって、この語句にものすごい衝撃を受けたことを覚えています。

 またもしかしたら、この語句そのものが私のその後の人生の、密かな座右の銘になっていたような気もしています。

 ではその「飄々」とはいったいどんな意味か。辞典等で調べると、「風に吹かれてひるがえる様子」「ぶらぶらとあてどもなくさまよう様子」「性格・態度が世俗を超越していて、とらえどころがない様子」なんて書かれています。

 その後の映画で、フーテンの寅さん映画も、これに準じるような気がしますし、今もビッグコミックに掲載中のジョージ秋山さんのマンガ「浮浪雲」の主題もこれに近そう。いずれもなんとなくあこがれる生き方です。

 人生劇場では、飄々と生きようとしながら、実際には様々な人生のしがらみで主人公が苦悶する様子が描かれていたと記憶していますが、一人の人間の生き様、特に今の私のような初老の人間にとって、飄々と生きるというのはまさにうってつけの語句のように思えます。
 
 この年代になると、先々は20年前後。活発に動ける期間は長くて15年ぐらい?その15年をどのように生きるのか?やりたいことはいっぱいあるので暇をもてあますと言うことはないと思いますが、先を見るとこれから達成できることは限られています。

 「これをやるしかない」なんてことがあれば別ですが、凡人の場合は「あれもやりたい」「これもやりたい」と思いつつ、どれもが中途半端な形で、いつの間にか過去のものになっていきます。

 しかしそれもまた人生。すべてが中途半端でも、のらりくらりと、深刻に思い悩むこともなく、その時その時で思いついたことを楽しむ姿勢が、まさに「飄々と生きる」ことに繋がるということです。

 ストレスの多い社会の中で、気楽に生きるというのはなかなか実行が難しいと思います。特に仕事をしている場合は、常に他人との係わり合いが生じますので、なかなか一人で好きなことをやるということは出来ません。

 しかし仕事をしなくてもいい年代になったら、あれこれ考えずに天気や季節の移り変わりと共に毎日を楽しむ、という気持ちが必要なんだろうなと思います。

 とここまで書いて、なんだこれはまさに「悠々自適」の生活じゃないかと思い当たりました。ようやく私の精神的レベルがその領域に近づいてきたということでしょうか? 
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