海外で生活している友人が一時帰国(2016.4.13)
金曜日に、高校時代に親しかった、今は海外で生活している友人が久しぶりに日本に戻ってくるというので、ミニクラス会をやることになった、というメールをもらいました。
早速参加の意思表明をしましたが、会場が埼玉県のここからだと2時間以上かかりそうで、こりゃ大仕事だなと思っています。
しかし60歳を過ぎてからこの手の案内というか催しというか、そういった類が増えたように感じられます。クラス会や同窓会ですから集まるメンバーは当然同じ年齢です。
という事は、結婚した人は子育てが一区切りし、必死に働いていた人は、嘱託やらパートやら、よく分かりませんが、ともかく通常の仕事ではなくなっている人が多くなっていると思われます。
というわけで、多少時間に余裕ができ始めた人が多いという事だと思いますが、一方で昔懐かしい思い出話を語りたいとか、ともかく人と話をしたい、という気持ちを持つ人が増えているような気もします。
というのも、先日も書きましたが、町内の葬儀で集まったお手伝い同士の会話の内容を聞いていると、もちろん同窓会ではないので、互いに全く年齢等も異なっているわけですが、昔はこうだったんだよ、と思い出を語りたいと考えている人が多いんだなと感じたからです。
やはりある年齢に達すると、そこからさらに何かをやって、新たな事業にチャレンジするという機会は極端に減り、ある意味昔のことを思い出いしたり、過去の栄光?にすがったりして、自分の生きざまを確認するという作業が必要なのかなと思えます。
自分はこうやって生きてきたんだという事を自己確認するためにも、それを誰かに語ってうなづいてもらいたいという衝動でしょうか。
多数の偉人が、自分の生きざまを示すために大きな墓を作るみたいなことが行われますが、多かれ少なかれ誰もがこういった衝動を持っていて、自分がほんのわずかの間でもこの世に存在していたんだという事を確認したいのだと思います。
まあ偉人の場合は大きな墓や記念碑を作る財力がありますから、それで満足できるのかもしれませんが、庶民の場合はなかなかそううまくはいきません。
人によっては自分史を書くとか、誰かのために何かをすることによって、自分という存在を意識してもらうとか、ちょっとした趣味を発展させて世に問うとか、こういったブログを書くという作業も一つの記念かなという気も私はしています。
そしてそういった手段が何も思いつかない場合、根源的な欲求として、機会があればだれかと話をして思い出を語り合いたいという気持ちになるのかなと感じます。
金曜の夜ですが、果たしてどんな話題になるのか?楽しみです。