日本は老成の域
国としての第二の人生は?

日本国の第二の人生を考える(2012.11.4)

 暗い話が多いので、何か明るい話題を考えたのですがなかなか思いつきません。それだけ世の中全体が暗くなっている証拠でしょうか。

 小学生の頃は、学校から帰ってくると、すぐに家を飛び出して近所の子どもたちと遊んでいました。都内でしたが、まだあちこちに空き地があったりして、そこで私自身は喘息持ちで過激な運動は出来なかったものの、いろんな事をして遊んだなあと時々思い出します。

 陣取りやかけっこ、野球、缶蹴り、更には縄跳び、虫を捕まえ、覚え立ての将棋で遊び、正月にはコマを回し、雪が降れば雪だるま作り。家の中ではトランプやボードゲーム。

 まあとにかくよく遊んだなと思いますが、最近は子どもたちの人数が減って、なおかつ塾通いや管理された部活動により、子どもたちだけで自由闊達に遊んでいる姿が減ってしまったなと思います。

 幸いにも今の我が家の近くには公園があり、自然の川が流れているので、夏休みなんかはそこに子どもたちが集まって遊んでいるのを見ると、なんとなくほっとします。

 要するに自分が年を取ったんだなという意識があるのだと思いますが、管理された遊びではなく、自分たちで工夫する遊びは大事だなと感じます。

 ところが、私が中学生になった頃から、急に子どもたちの遊んでいる姿が近所から消えていきました。50年近い前で1965年ぐらいでしょうか。当時から遊び好きだった私は、周辺から急に遊び仲間が消えてしまい、うろたえたことを今でも覚えています。

 どうやらその頃から徐々に塾通いをする子どもたちの生活が始まったような気がします。1965年から1990年に向けての25年間は、誰もが「勉強して良い大学に入り、終身雇用制度を利用して豊かな暮らしを実現する」という夢を持っていました。

 産業が発展し、田中角栄さんが日本列島改造論なんかをぶち揚げ、庶民はインフレだインフレだと叫びながら、給料はぐんぐん上昇。

 目の前のどろんこ道がどんどん舗装され、車の数も急増。やればやるほど何でも儲かる(今の中国みたいなものでしょうか)時期でした。

 勉強して良い大学に入って官庁や一流企業に就職することが人生の目標で、あとは必死に働けば働くほどお金が儲かる、毎日が刺激の連続という激烈な時代でした。

 その意味では、私も含めて、今の団塊の世代は、大学時代に大学紛争を経験しながら、その後は高成長に乗っかり、ここ20年はその勢いでなんとか使命を終え、後はのんびり逃げ切ればいい、という感覚かもしれません。

 しかしこれからの人は、少子化が進む限り、過去の高度成長期のような物価上昇を経験することもなく、逆にこうやって生き抜いて大金持ちになるんだみたいなビジョンを持つことも難しいのかなと感じています。

 国全体が老成の段階に入っているんだなと感じてしまいますが、もし老成の段階に入ったことを認めてしまえば、後は消えるのを待つだけとなってしまいます。

 60歳以降に第二の人生があるように、国も今のこの老成した雰囲気を活かして、逆に何か世界のために貢献して盛り上がるような第二の人生はないものかなと考えるようになりました。当然金だけでは駄目です。


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