形だけ整えても人口は増えません

「子育て 社会か家庭か」という記事を読んで(2012.12.9)

 今日の毎日新聞1面の見出しでは「子育て 社会か家庭か」というものでした。子育てを担う主体はどこにあるのか、というのがテーマの記事です。

 今回の選挙で私は「子育て」や日本全体の「人口増」をどのように成し遂げるか、というテーマを個人的な投票の目安にしているのですが、これまでは原発やTPP、領土と言った問題の裏側に隠れていました。

 今日の記事でようやく少し注目され始めたのかなと言うきがしましたので、少し腰を落ち着けて記事の内容をじっくり読んでみました。

 記事の内容で、これから誰もが考えなくてはいけない問題点として

@ 働いている女性に子どもが出来たとき、育児に専念すべきか、子どもは保育園に預けて働くべきか、というお母さんやその家庭の問題

A 預けるべき保育園が足りない、という問題

B 経済的に問題がなければ、家庭で子育てをした方がよい、という(男社会?の)建前論。逆に言えば家計が苦しいので働かざるを得ないという現状

C 育休制度が充実してないという現状

D 3歳までは親と一緒に過ごしたほうがよいという「3歳児神話」の存在(記事では否定されています)

 どの項目についてもそれぞれ派生的な問題が絡み、根底にそれを支える国家的な予算がない、さらに経済状況が悪く家庭の収支が厳しいという、解決しにくい問題もあり、さらにややこしいことになっているなと感じます。

 しかし子育てというのは、母親に対して国が、家で育てろとか働きながら育てろ、と言うようなこと強制するのも変な気がします。国は国民が臨む形の制度を整備するのが仕事であって、国の方針を押しつけるのは本末転倒です。

 つまり働きたい人のために保育所を完備する。子育てをしたい人のために経済的支援を完備する。どちらもきちんと制度的に整備する。選択はお任せします。と言うのが理想的な姿であるような気もします。

 ただしそれでも今後日本国の人口がプラスに転じるのか?という一番根本の問題は解決しないような気もします。

 上記のような理想的な仕組みができたとして、「よしそれじゃあ子どもをいっぱい生んで育てようか」と思う人は、少しは増えると思いますが、現状の若者を見ていると(中高年の醒めた目線かもしれませんが)、「子育てなんか面倒だ。スマホやゲームで一生気楽に遊んで暮らせれば充分」と考えるような若者も多いような気もします。

 日本人の生物としての根源的欲求が減少しているのでは、とすら思うことがあります。ただし経済環境が良くなれば、子どもはもう一人ぐらい欲しいなと感じている若い方もいるとは思いますので、そうゆう方に手厚い補償が出来るような制度が出来れば良いなと思います。

 その意味では、お金では解決できない部分もありますが、以前民主党が唱え、今は未来の党が主張しているような現金給付は、多少なりとも支援材料にはなるのかなと思えますが、背景になる予算をどうするんだ、と言うのが問題だと感じます。


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