将来のことより今が大事?

将来を予測できても改革は困難(2014.11.28)

 人という生物は、将来を予測することが出来る特異な生き物だなと感じます。比較的知性があると思われる犬やネコ、猿といった哺乳類は、現状を良くしようとする努力はしているように見えますが、将来に備えて準備をするということはほとんどなさそうです。

 この将来を予測する力は多岐にわたっていて、自分の将来、家族の将来、場合によってはまだ存在もしていない孫やその子供達の将来を想像することも可能です。

 さらに自分の将来の家計がどうなるかとか、国全体の財政収支はどうなるか、原発を造り続ければどうなるか、温暖化が進んで行くとどうなるか?まあ四六時中ありとあらゆることを予測し、それに備えて現状を変えて行くというのが世の中の流れの一面であるような気がします。

 一方、そういった予測と同時に、人々は日々生活しているわけで、その今ある生活の良いところは、なるべく温存したいと考えます。

 具体的に言えば、「会社の将来のために給料を下げる」と言われれば、誰もが反発するということです。これまた不思議な気がしますが、給料を下げないと会社が倒産する、というギリギリの瞬間まで、何とか少しでも長く持ちこたえて欲しいと普通の人は願うと思います。

 つまり将来を予測する力があって、今のままでは、その将来が現状より悪くなるかもしれないということが分かっていても、既得権益を守ろうとする人が多いということです。

 私は今のような推薦制度が充実していない時期に大学受験をしましたが、勉強をしなければいけないと分かっているのに、怠惰な生活の方を好むために、ついつい遊びほうけてしまうなんてことを経験し、「なんて意志が弱いんだ」と情けなくなりましたが、改めてその人生を振り返って見ると、いつも本来やるべきことが後回しになっているような気がします。

 
 実はこういったことが政治の世界でも日常的に行われていて、既得権を奪うような痛みを伴う改革には誰もが腰をひいてしまい、本当に切羽詰ってどうにもならなくなったとき、ようやく動き出すことが多いです。

 特に年金問題なんかにそれを感じるわけで、少子高齢化は何十年も前から始まり、将来を予測したら年金原資が枯渇するということが分かっていたのに、対策は後回し後回しとなり、現実に年金原資が減り始め、このままでは破綻が避けられないと分かってから少しずつ制度が変わっているように思います。

 原発も作り始めたら止まらなくなり、福島原発の事故が起こり、廃棄物の処理先も決まっていないのに、また再稼動せざるを得ないという風潮になっています。

 結局首都圏に放射性物質が降り注ぐような事態にならない限り、原発は安全だ」「放射性廃棄物はいずれ何とかする」という言い方で押し通すのだと思います。

 しかしではどうすればいいのかとなると、これまた難しい。要するに人間とは将来を予測できても、、現状の生活に痛みが伴うような改革は避けたい、という意識が働く生物だということです。

 さらに言えば、将来のことより今のほうが大事だと考える人も多いと思います。今回の選挙の公約を聞いていても、現状と将来のどちらに重点をおくかで、ずいぶん表現は異なるなと感じています。


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