国際感覚を養うために

日本史と世界史はなぜ分かれているのか(2015.1.15)

 フランスの風刺漫画に憤りを感じてテロ行為が行われ、それが逆にフランス人の心に火をつけたようで、風刺漫画を掲載した新聞が飛ぶように売れているとか。
 

 これについて、個人的にはいわゆる発端となった風刺漫画そのもの内容が、かなり宗教的色彩を持っていて、それを冒涜するような意味合いも含まれているとなると、気持ちは複雑です。

 特に個人の思想信条宗教に関係することを風刺して揶揄するというフランス人特有の国民性でしょうか。これについては私自身の気持ちとは相容れないなという気がします。
 

 「もう少し遠慮があっても良いのでは」というのが率直な感想です。しかしだからと言って、そういったマンガを掲載した新聞社を襲撃し、武力で脅すというのはやはり許されない行為だとも思えます。

 しかし、マンガを掲載しなければ、感情的に逆上するような人もいなかったはずで、このあたり「どちらが先か」という問題もありそうです。

 先週末はテロに反対する大規模デモが行われたようですが、日本は予算編成の最中だったからでしょうか?政治レベルで誰かがデモに参加したという話しは聞かなかったような気がします。

 その意味では、やはり上記のような自分の気質を振り返ってみても、日本という国は「あうん」の呼吸や、「まあこんなもんか」という「なあなあ」の呼吸が浸透している国だなと感じます。

 言葉を変えれば事なかれ主義や、上位下達の社会構造がしっかりしているとも言えるのかもしれません。

 こういった国民性の違いはどうして生じるんだろう?と、新聞を読みながら考えていたのですが、やはり島国というロケーションの問題が一つ。そして他国から本土そのものを侵略された経験がないということも大きいのかなと思いました。

 さらに言うと自分の仕事を振り返って面白いことに気が付きました。それはまさに「当たり前」だと思っていたことですが、日本の学校では、歴史を教えるときに、「日本史」と「世界史」の二つがあって、日本は日本、世界には世界のまったく別の歴史があるかのような指導をしているような気がします。

 本来、特に国境が地続きの国の場合、常に国境紛争が起きているわけで、自国と他国との関係が歴史になっているわけですが、日本は日本国内での歴史でほぼ完結しているというところが面白いです。

 
 従って私もそうですが、日本の鎌倉幕府の時代に世界はどんな動きがあり、日本の歴史にどのような影響を与えていたのかということを比較して考えることが出来ません。これは江戸時代も同様。

 そういった視点の欠如?が国際感覚がなかなか育たない原因のひとつであるような気もします。日本は日本という国の中で、「なあなあ」若しくは「あうん」の呼吸で生活していれば充分

 たまに海がめが海面からひょっこり顔を出すように、外を見て、びっくりして慌ててまた水の中に潜る、なんてことが多いような気がします。


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