政治家の判断が憲法より優先される?

ギリシャの情勢を見ながら日本を振り返ると・・・(2015.7.14)

 ギリシャ問題は、なんとか支援が継続されるような雰囲気になり、あとはギリシャ議会の承認待ち。さらにその後は緊縮を実際に行えるかどうかという実行力に話が移ってきたようです。

 というわけで今後の推移を見守るしかないわけですが、年金が減り、税金が増えるわけですから、国家の赤字体制はすこし改善されるのだと思います。

 しかしではそれで経済が回復するのかというと、観光産業だけでは、また同じことの繰り返しになりそうです。ましてや年金が減るということは高齢者の購買力が減るということですから、若者の失業率も考えると、国の中でお金が循環しないように思えます。

 日本でも製造業が中国や東南アジアの国々から追撃を受け、今は円安効果で観光業が潤っているようですが、もしこれが続くならギリシャと同じような産業構造になりそうです。

 TPPも妥結しそうな雰囲気になってきましたから、農業や畜産業も自由化の波にもまれ、今後は衰退しそうです。そこへ持ってきて少子高齢化ですから、その衰退の勢いは、政府の楽観的な国家財政の見通しを大きく上回るような気がします。

 それで果たして日本は持ちこたえるのか?財政状況が厳しいということが分かっているのに、国立競技場建設費用は相変らず2500億円を越えることに固執しているようです。

 オリンピック関係者が自分の全財産をすべて投げ打って作るのならともかく(とても足りないと思いますが)、税金や当てのない収入を理由にして「作るしかない」と強弁する姿は悲しいです。

 一方安全保障法制は、「充分審議をつくした」と表向き言っていますが、マスコミ報道によれば可決するためのタイムリミットの都合で審議日程が決まっているようですから、充分審議をつくしたのではなく、もう後がないから決めるしかないと言っている訳です。
 
 しかしこれだけ審議をしても、全体像は一向に見えてこず、同じような内容を延々と議論しているのは間違いないので、その意味では審議はつくされたという強弁もありえるのかもしれません。

 反面、これだけ審議をつくしても、結局「何がなにやらさっぱり分からないような法案だ」という印象を持つ人が多いということと、憲法に抵触する恐れがあるということだけは明らかになったような気がします。

 それにしても安倍総理の言葉には驚かされました。毎日新聞からの抜粋ですが「政治家に期待される役割は憲法学者とは別だ。現実に必要な安全保障政策を講じるのが政治家の使命」と言っているようです、これは政治家の判断が憲法より優先されるという恐ろしい考えです。

 つまり政治的に必要であれば(その時の政権がよしとすれば)、憲法は無視しても良いと言っている様なもので、このあたり、もっとマスコミは追求すべきだなと感じます。 


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