舛添都知事個人の資質だけが問題?

政治資金規正法の使途には制限がない」(2016.6.7)

 このところ夕方4時ぐらいからは、フルートの練習をしています。フルートの先生に、「もっともっとうまくなりますよ」と煽てられて、ちょっと舞い上がり気味ですが、それでも吹いていて楽しいので練習もなんとか続いています。

 管楽器の練習というのは、すぐに曲の練習というわけにはいかず、最初に「音出し」と称して、一つの音を長く吹く「ロングトーン」と呼ばれる練習をします。

 次に音階等の練習をするのですが、そうすると唇の筋肉が徐々に柔らかくなり、なおかつ楽器の温度も息の温度で上昇し、内部に適切な空気の振動が生じやすくなり、楽器が「鳴ってくる」という状況が生まれます。

 ただこの間、最低でも15分、コンディションが悪い時は30分ぐらいかかることがあり、単調な練習なので、目は結構暇です。

 そこでテレビをつけて音声を消してニュースの字幕だけを見たりしています。昨日はちょうど練習を始めたころから舛添都知事の記者会見が始まり、第三者の客観的な判断というのが示されました。

 今回の件で問題になっているのは、都知事の公私混同という部分のようで、政治資金で購入したものが具体的にいろいろ見えてきました。

 あらためて新聞記事から不適切と指摘されたものを列挙すると

・ ホテルの宿泊代
・ レストランで飲食
・ 多数の絵画
・ 書籍
・ マンガ

とまあ、いったいどこが政治活動なのか疑わしいものがゾロゾロ出てきました。しかしこれらに対する第三者とされる弁護士さんの見解は「不適切だが違法性はない」というもので、だいたい予想はしていましたが、実に曖昧な言い方になっています。

 「どうしてそうなるんだ?」という根拠を見ると、なんと「政治資金の使途に制限はない」と書かれていて、要するに何に使っても良い、という事のようです。

 というわけで、私は舛添都知事の常識や言動に呆れはしましたが、逆に庶民に明らかになったことが一つあるなと感じました。それは「政治資金規正法」というのは、法律と名前があるものの、使途に制約がないわけですから、基本的にザル法であるということが明確になったという事です。

 自分が得た収入だから何に使っても良いという発想なのかなと思いますが、その中には税金も含まれているわけで、そこに倫理的な不愉快さを感じます。

 庶民のお金が税金で吸い上げられ、一部は有力者の政治資金となり、それによってファーストクラスの飛行機に乗り、家族旅行や飲食を楽しみ、趣味の絵を集めることも違法ではないという事ですから、税金を納めるのが馬鹿らしくなります。

 というわけで諸悪の根源は舛添都知事の倫理観というより、政治資金規正法そのものであるような気がしています。


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