四ツ倉港近辺の被災状況

いわき市へ行ってきました(2013.5.7)

 福島のいわき市に行き、2年以上たった今でも、あちこちに震災の痕跡が残っていることを確認してきました。昨日は午前中冷たい強風の雨模様の中、津波の被害が大きかったと言われている四ツ倉港の道の駅へ先ず向かいました。

 しかし朝早く出発したので道の駅の開店前に到着。時間がもったいないので、もう少し北上してみようと思い、その先の「久の原」という街へ。

 何故ここに行ったのかというと、地図で見る限りここには小さな岬(殿上崎)があるように見えたので、この岬の先端付近からは海の景色が良いのではないかと思ったからです。この時は震災の事を忘れていました。

 ところが四ツ倉からそのまま国道を北上していくと、国道の周囲に家の土台だけが残っている風景が見えてきて、「あっこれはやはりここまで津波が来たのか」と思いつつ観光気分が徐々に消えていきました。

 久の浜駅前の道を右折し、岬先端の方に走っていくと、いきなり周囲がパッと開けました。同時に数百mの遠方まで家の土台だけが連なっているのが見えてきて、ようやく津波の被害を実感。

四ツ倉港近辺の被災状況

 路肩に車を停め、呆然としてあたりを見回しました。土台だけになった広がりの中、歩いている人はまったくいません。冷たい風が追い打ちをかけるように遮るもののない空間を吹き抜けています。

 雨が小やみになった頃を見計らって、全体を見たいと思い海側に歩いていくと、70歳前後の地元の方が犬を連れて散歩をしていました。本当に大変だったんだろうなと思いつつ黙礼をすると「どこから来たんだ?」というので、「埼玉からです」と答えると、「狭山に親戚がいるんだ」という話になり、しばし当時の様子を教えてもらうことが出来ました。

 この地区だけで60人の方が亡くなったということで、たまたまこの方は私が観光気分で目指していた岬の麓のちょっと高台の家にいたため助かったと言っていましたが、その家から現在の土台だけの空間が一望の元に見渡せますので、当時の恐怖感はものすごいものだったと思います。

 それにしてもコンクリートの土台だけが延々と連なっている様子は何とも言えない荒涼感です。ここで生活していた人がいたんだと思うと、何ともやるせない気持ちになります。

 海側の堤防は海面から5m以上あったと思いますが、そこを簡単に乗り越え、家を土台からもぎ取るような水の力というのは想像を絶します。逆に言うとそんな津波なんか来るわけがないと思っていた人も大勢いたのだと思います。

 これはもう言葉で説明するより、写真の方が説得力があります。撮影している背中側が海です。


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