自分の存在価値を見いだせる仕事

海外で就職する日本人の若者達(2012.12.30)

 今日の毎日新聞朝刊1面のトップ記事は「成長の熱気求め」、「インドネシアでセカ就する若者」という題名で、日本での就職に見切りをつけ、インドネシアで働きだした若者の記事が掲載されています。

 これからの若者は日本国内だけでなく世界に目を向けないと満足感や達成感を得られないのではないかと予てから考えていたので、記事を熟読しました。

 一昨日に私は6回目のバンコク旅行から帰国しましたが、バンコクという都会の成長力という魅力に取り憑かれているなと自分では感じています。もちろん夜の飲み歩きも楽しんでいます。

 道路事情も交通事情も混沌としている街ですが、成長へのエネルギーだけはすさまじいものがあり、誰もが生活向上のために少しでも努力するという姿勢が見られ、良いと思うことはどんどん取り入れている貪欲さを感じます。

 繁華街を歩いていると、欧米人や中東系、アジア系の観光客に混じってたくさんの人が働いているのを見ることが出来ます。道ばたには、死んだように眠っている野良犬がいたかと思うと、小さなプラスチックのカップを持って物乞いをしている、子どもを抱えたお母さんがいます。

 こうゆう人たちは、ほとんど1日中通りに座って1日の糧を得ているわけです。それをみすぼらしいと見るか、貧困のきわみと見るか、彼らなりに努力をしていると見るかで価値観は変わると思いますが、私はそこに生きようとする努力を見ています。

 若者はバイクにまたがり送迎サービスを行い、ドアマンは1日中ドアの横に立ち、いつ来るか分からない客のためにじっと立っています。多少余裕のある人は屋台のリヤカーをひき、食事を提供しています。これも朝から深夜までです。

 舗道上に並べられた小さな屋台でも1日中何らかの商品を売っていますが、これも同じ椅子に一日中座り込み、商品に買い手が興味を示すのを待っています。

 見方によっては、心の根底に「出来れば楽して稼ぎたい」「このぐらい稼げればまあこの仕事でも良いか」というタイ人特有の怠惰な精神も感じますが、それでも働こうという意欲は感じます。出来ることを出来る範囲でやり、そのお金の範囲で生活を享受するという考えでしょうか。 

 一方日本の若者はどうしたんだ?という論調を時々見かけていたので少し悲観していたのですが、今日の新聞の記事で「日本の若者だって頑張っているじゃないか」と見直しました。

 仕事をやっていて無条件で嬉しいのは自分の存在価値をそこに見いだせることです。私は30数年間教員という職業をやって来ましたが、生徒や保護者から「先生が担任で良かった。お世話になりました」と言われたとき、一番大きな満足感を得たように思います。

 しかし成熟した日本社会では、ほとんどの仕事がシステム化され、コミュニケーションツールがスマホに代わってしまい、人間同士の触れあいは減少し、個人個人が分断され閉塞感に悩まされると言うのが現状かなと思っています。

 海外に出て成功するとは限りませんが、そこで少しでも生活すれば、世界には日本とは異なる見方をする人がいっぱいいるんだと言うことも分かり、そういった環境の中で自分のやりたいことが見つかるかもしれません。

 この記事では、若者の就職先としてインドネシアを取り上げています。私もジャカルタという街に行ってみたくなりました。

   
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