体罰は許されませんが
そうしないと部活が強くならない?

体罰と部活指導のあり方(2013.1.11)

 体罰による自殺問題は、本当に悲しい出来事です。結果的に一人の生徒の命が失われ、家族は大変な悲しみに暮れています。

 テレビや新聞の報道に寄れば、どこまでが本当か分かりませんが、生徒側は30〜40回、教員側は数回?殴ったというような大きな隔たりがあります。

 しかし現在文科省は各学校に、例えば「いじめ」のような出来事があった場合、加害者側がからかいや遊び半分でやったと思っていても、被害者側が「いじめられた」という認識を持っている場合は、「いじめ」であると考えて指導するように指示が出ています。

 つまり「被害者側の意識を最大限に尊重せよ」ということですから、こういった体罰問題も、基本的には亡くなられた生徒側の意見を最大限に尊重して、それが事実であるという前提でこの件も判断すべきだと思います。

 ということは新聞やテレビで報道しているように、立派な傷害罪であり、副顧問や、なんだか言動のあやふやな校長等の管理職は知っていて何もしなかったわけですから、幇助罪に該当するかもしれないなとも思っています。

 その意味では、この行為自体に正当性は全くないと私は思います。ただどうしてそうゆうことが積み重なってきたのかという背景を、テレビや新聞はもう少し掘り下げて報道すべきではないかと思います。

 今回、問題に問題になっているのはバスケットボール部です。大変強いチームみたいですが、中学校の経験者であっても、その素質を見抜き、全国大会でも通用するような選手に数年間で育て上げるためには、それこそ休み返上で部活を行っているのだと思います。

 それがそもそもおかしいという考え方ももちろんあります。しかし全国大会出場ということになれば、学校の名前は有名になり、その部に所属している子ども達も何か有名になったような錯覚を覚え、さらに保護者達も試合に勝てば勝つほど熱狂し、「もっともっと」という希望が強くなります。

 さらに言うと、近年文科省か県の意向か私には定かには分かりませんが、同じ県内の公立高校であっても、他の高校とは違った特色や実績を出せ、と県教委から迫られます。

 そこで一番特色を出しやすいのは部活ですから、勢い強い部活を作ろうとし、学校全体でそれを応援しますから、ますます強くあらねばならないという責任を部活顧問は背負い込みます。

 生徒、保護者、学校の期待を背負い込んでいる内に、いつしか「俺が指導しているからこれだけ有名になったんだ」という自負心が芽生え、さらに弱くなったら期待を裏切るという責任感も生じます。

 もともとが熱血指導を売り物にしていた人の場合は、得てして体に覚えさせる、という指導になりがちです。(この先生がそうだった、と言っているわけではありません)

 マスコミは、傷害罪だと騒いでいますが、(もちろんそうだと私も思いますが)そうなった背景をきちんと掘り下げ、個人の先生の問題に論点を集中するようなことはして欲しくないなと感じます。

 部活指導はどうあるべきか?甲子園で毎年のように野球が盛り上がっていますが、その指導の実態はどうなっているのか?サッカーやラグビーはどうなのか?

 さらに言うと吹奏楽部のような文化系の部活であっても、全国大会が作られ、それに向かって正月休みも返上して活動を行っているような学校があるのを文科省や一般の保護者の方達は知っているのか?

 学校の部活とは本来の学習活動とは別の分野で、生徒の知的好奇心や関心を刺激し、運動機能を育成する場だと思っています。互いに切磋琢磨するという意味での試合があっても良いと思いますが、勝つために何をしても良いんだという訳ではないはずです。

 うまくまとまりませんが、同業として、学校が背負い込まされている物をもう少しマスコミにとりあげてもらいたいなと感じます。

  
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