品行方正でおとなしい高校生

今時の高校生の覇気(2013.9.29)

 どうでも良いことですが、今日は第1111回。(このサイトはブログ記事を元にして作っています)数字が揃うと何か良いことがありそうだ、と思うのはどうしてでしょうか?昔パチンコで777が揃うと大当たりとなって、玉がジャラジャラ出てくるというのを経験しているからでしょうか?

 パチンコは高校を卒業する頃に初体験。私の高校は、当時学園紛争で制服が廃止となり、私服登校でした。それを良いことに?パチンコやさんに入ったり、放課後ジャズ喫茶なんかに入って音楽好きを演じてみたり、卒業間近には悪友と居酒屋まで体験。

 まあ今のようにうるさく言われなかった時代です。この頃タバコも覚えました。ちょうど子供と大人の境目の時期で、ある部分は背伸びをしたくなり、ある部分では子供でいたいと願ったり。精神的にも不安定で、感情が揺れ動いていました。

 高校紛争がたまたま思春期の自立を考える時期と重なったため、「何故生きるのか」「生きる目的は何か」等、訳の分からない答の出ない疑問が次から次へと生じていた時期でもあります。

 その頃私の親はいったいどうゆう目で私を見ていたのか?親がちょっとアドバイスをすると、すぐに不平不満たらたらの返事が返ってきたので、あまり私には話しかけてこなかったような気がします。私自身も親の世代の考え方や生き方を否定したいという気持ちがありました。

 ただ悪ガキぶっていても、所詮スポーツは苦手で体力のない、ガリガリの病人みたいな若者でしたから、チョコチョコと禁止されていることをやってみては、そのスリルに満足するだけで、それ以上の事をする勇気はなかったように思います。

 そんな私が就職するときは教員を選んだのは面白い選択だと思いますが、悩み抜いて考えて、自分が体験した受験教育では理科の面白さは生徒に分かってもらえない、だったら自分で教えよう、と思ったのがきっかけです。

 その後私が教員になった頃から、受験教育の弊害がはっきりと表れたのか理科離れが進みました。1週間の授業の中で理科の必修単位はどんどん減り、一時期は物理化学生物地学のどれか1科目でも勉強していれば、理系大学に進めるということになり、今度は大学が理科の補習を行うという事態に。

 一方高校側は理科離れを食い止めるために、いわゆる団塊の世代の先生あたりから、実験を主体にして考えさせる理科を目指すという動きが少しずつ出てきました。

 しかし実験を主体にと言いいながら、私も含めて一部の先生は、いわゆる授業受けをする一発芸みたいな実験を取り入れたりしましたが、その時だけ生徒はびっくりして注目しますが、それが終わると再びまどろみの中で授業が進むという事態に。

 教育というか知識の伝達というのは難しいものです。何故その実験をやるのか?目的は?結果の意味は?失敗の原因は?というようなことを追究していくことによって知的興味が湧くと思っていますが、現実は厳しい。

 本を読んだり、じっくりものを考えるという時間がどんどん少なくなり、テレビのクイズ番組に見られる、1問1答式の授業が生徒から歓迎されるようになります。

 覇気がない、知識欲がない、と良く言われますが、その分おとなしい、ある意味扱いやすい生徒になっているかもしれません。

 ちょっとは規則を逸脱するようなことをやってみたい、と思える方が普通だと思えますが、どうも「飼い慣らされた」という語句がぴったしのような生徒が増えているなと感じています。

 ちょっまとまりません。パチンコの話から思いつくままに書き散らしてしまいました。
   
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