60歳を越えると健康格差が広がります

三浦雄一郎さんのエベレスト登頂(2013.5.30)

 80歳の三浦雄一郎さんがエベレスト登頂に成功したというニュースは、普段300m程度の低山ハイキングでも息を喘がせている私にとっては驚異的な出来事です。

 私の場合は昔から気管支が弱く喘息気味なので、ちょっと息が荒くなってくるとすぐに喘息の苦しさを思い出してしまい、さらに小心者なので心臓がバクバクし始めると、これはもう心臓麻痺を起こしかねないからやめた方がよい、とすぐに判断して無理をしないようになってしまいました。

 それでも平地を歩く分にはそれほど疲労感もなく、まだまだ快調に歩けるので、健康のために近所の河川敷の散歩コースを週に3回以上は40分から1時間半程度歩いています。

 三浦さんの場合、下山は精根尽き果て、途中からヘリコプターを使ったというのがちょっと残念な気もしますが、それでもやはり登りきったという事が凄いですね。

 帰国後のコメントに「半日仕事」という言葉がありましたが、「確かにその通りだ」と納得してしまいました。要するに若いときと違い、加齢と共に気力も体力も衰えているわけですから、充分な休養と共に、ほんの少しずつコツコツと努力を積み重ねるということでしょうか。

 私の場合はまだ60歳ですから、半日仕事ではなく4分の3日仕事ぐらいかなと思っていますが、そう考えると現在の非常勤講師の仕事と自宅でのネットを活用した副収入という仕事?は、1日の活動時間から考えるとちょうどそのくらいの割合になっているように思います。

 政治の世界では、勝手に60歳ならまだ体力があるから働けると決めつけて、年金の受給年齢をどんどん繰り下げようとしていますが、これは要するに年金原資が足りないから、それを少しでも節約するために、受給年齢を下げ、受給額を減らすという口実に使っているように思えます。 

 確かに昔の日本人に較べれば、今の日本人は寿命も伸び、60代は体力もあるように言われてもしょうがないのかもしれませんが、もし年金原資が充分にあれば、いくら体力があるように見えても、わざわざ65歳まで受給年齢を引き下げることはなかったはずです。

 つまり、体力があって働ける人が多いから受給年齢を繰り下げたのでなく、年金の運営が下手だったために原資が足らなくなり、それを補うというか誤魔化す?ために、60歳健康説を強調しているように思えます。

 実際身の回りの60歳前後の人を見ると、たしかに三浦さんのように元気に満ちあふれている人も多いと思いますが、何らかの病気を抱えて、毎日のように病院通いをしている人もいます。(ちょっと大きな病院に行けばすぐ分かります)

 要は健康な人とそうでない人の格差が60歳前後から大きく拡がっていくと言うことだと思います。それを一律に60歳はまだ元気だから働くべきだ、と言う論理を展開し、働けるんだから年金受給年齢を下げても問題ないと結論づけるのは、体力のある政治家だからこそ言える事であるようにも思います。

 とはいうものの我々が選挙で選んだ政治家達が決めたことですから従わざるを得ません。とうわけで私は自分自身の健康寿命を少しでも伸ばし、少なくも納めた分の年金ぐらいは返してもらって、そのお金で遊ばないといけないなと思っています。 


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