いくら稼いでもきりがない

幸せだと思える年収(2012.5.1)

 本屋さんで「年収300万 父さんはなぜ幸せなのか」という表題が目につき、中をパラパラと見てみました。「PRESIDENT」という雑誌です。今日の毎日新聞の下段に広告も出ています。

 年収が高くても、必ずしも幸せな家庭にはならないし、300万であっても充分幸せな家庭も多い、ということのようですが、要するに気持ちの持ちようが大きい、ということみたいです。

 ではどのような気持ちになれば幸せなのか、と言うことになるわけですが、基本的にはお金の価値を有効活用し、不必要なお金は使わない、と言うことかなと思っています。

 我が家も財政状況は大変厳しいですが、節約して汲々とした生活をしているとか、いろいろ足りないものがあるけれど我慢していると言うような意識はあまりありませんし、現状が不幸せな状態だとも思っていません。

 必要な物はちゃんと買っています。ただ不必要なものは買わない、という意識は凄く強いです。

 新製品が出たから買い換える、と言う人も多いようですが、我が家は物持ちが良く、壊れたら買い換えることにしていますので、たまに買い換えると科学技術の進歩に驚かされたり、製品の安さにびっくります。

 またバーゲンセールとか福袋とか、破格に思えるような安さのものが出回ることもありますが、安いからとりあえず買っておこう、という発想もありません。

 一方お金をたくさん稼ぐためには、その労働時間も必然的に多くなり、必然的に家族との対話も減り、何のために働くのかという目的すら見失ってしまうことがあるのではないでしょうか。

 もちろん大邸宅に住み、何千万もする高級車を乗り回し、ファーストクラスで海外旅行をするなんて言う夢もなきにしもあらずですが、いくら大きな家があっても自分一人しか住んでいないとか、家族と気持ちが通わなければ、虚しい住み処です。

 いくら良い車に乗っていても、同乗してくれる人や、「凄い車だね」と褒めてくれる人がいなければ、段々乗りまわす元気も失われてくると思います。

 ファーストクラスに乗って旅行に行き、高級ホテルに泊まっても、それがもし一人だけの旅行だったら味気ない旅行になると思います。

 結局、お金というものはなるべく効率的に有意義に使うことを心がければ充分であって、それよりも家族の絆やコミュニケーションによって自分の存在価値があると認識できることが「自分は幸せだ」と感じる原点かなと思います。

 誰もが60歳、65歳を越せば年金世代になるわけですが、その時に現役時代と同じような感覚で消費生活を送っていると、資産だけが目減りし、幸せな気持ちには慣れないのかと感じています。

 ある程度年を重ねれば必然的に必要なお金も減ってきます。そこへ至るまでに、収入の範囲内でいかに効率良く、自分が満足できるような消費をするかということが問題であるような気がします。


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