やりたいことをやる勇気

最期を迎えるとき、人が後悔することとは(2016.7.7)

  人が自分の命を失う直前に、自分の人生を振り返ったときに後悔すること、と言う内容の本が話題になっているそうです。オーストラリア人の看護士さんが、患者さんから聞いた話をまとめた本です。

 ポイントは5つあります。

1 他人がどう思うかではなく、自分自身のために生きる勇気が欲しかった

 これが最も多いそうですが、どうやら本来いろいろな夢を人は持っているはずなのに、それが世間のしがらみに縛られて、てつかずのまま最後を迎えそうだということのようです。

 若い時は、誰もが夢を持っていて、それは例えば「本気で恋愛をする」「結婚する」「豪華な家に住む」「贅沢三昧の生活をする」「うまいものをたらふく食べる」「自由きままに生きる」「奇抜なファッションで身を固める」「スポーツカーで吹っ飛ばす」等々、まあお金が絡みますが、それなりにやりたいことがあったはずです。

 ところが実際に働き始めてみると、給料は少ない、結婚すればやりたいことより節約優先、金がかからない自分だけの世界を作ろうと思っても、世間体が・・・と後ろ指をさされる。

 あれをやりたい、これをやりたいと思いつつ、日々の忙しさと憂さ晴らしに流され、腰を据えて自分の人生を見つめる時間もなく、いつの間にか体力がなくなり、気力もそがれ、やっぱり夢だったんだと自分を納得させるしかないということでしょうか。

 そういった後悔が最後の最後にやってくる可能性があるということで、ちょっと身につまされます。まあそこで後悔しても最後をむかえればその後悔も忘れてしまいますから、結果的に問題ないわけですが、個人的にはやはり「あ〜楽しい人生だった」と思いつつ最後を迎えたいものです。

2 家庭を省みるべきだった

 これは今も実は私の心の片隅にちょっとだけとげが刺さっています。私は56歳で妻を失いましたが、最後の2年間の闘病生活の時、本当に心底愛情を持って妻に接することができたかと悩んでいます。

 その悩みを感じるので、今は時間もあり、息子の成長を見守っているわけですが、今度はあまりに息子が頼りなげに見えるので、つい生活に口を出してしまいます。しかしそれはもしかしたら私自身の価値観を押し付けているだけなのかもと不安になることがあります。

3 自分の気持ちをはっきり伝える勇気が欲しかった

 他人との協調を重んじるあまり、自分が本当に言いたいことを押さえてしまう傾向があるということのようです。つまり常に摩擦のない人生になっているということで、本当の自分をさらけ出す勇気が欲しかったということでしょうか。

4つ目は友人を大切にすべきだった。5つ目が古い観念や習慣に縛られて、本当にやりたいことができなかったということです。

 結局全体を通して感じることは、自分の個性が充分に発揮できなかったという嘆きでしょうか。私が海外旅行に「行けるときに行く」と頑張っているのは、このあたりの気持ちと似ているなと感じます。

 やりたいことがあって、やれる環境があるなら、あとは勇気と気力を振り絞って踏み出すということでしょうか?やってだめならしょうがない。やらずに自分をごまかしていると最後に後悔するということだと思います。

 ちなみにヤフーのニュースでも似たような記事があります。人生の終盤で気づく5つの小さな後悔だそうですが、上記の内容とはちょっと異なっています。


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