余命宣告をされたら何をやりたい?

2017.4.6

 暖かい朝でした。早朝たぶん4時ごろだと思うのですがトイレに行こうと思って起きたとき、妙に暖かいなと感じました。いつもは深夜2時ごろ起きるトイレですが、昨日はリハビリ病院での筋トレと柔軟体操の日。

 2時間半程度の運動ですが、おもりを持ち上げたり体を曲げたりしていると結構な運動になっているようで、これをやった日の夜はすごくよく眠れます。その分トイレの時間が明け方にずれ込んだようです。

 トイレから再びベッドに戻って、「汗ばむぐらいの陽気だな」と思いつつ、横になって目をつぶっていたらいつの間にか寝入っていました。

 ただこの時間帯の眠りは浅いようで、7時ごろに目が覚めました。覚める直前、どういうわけか医者から余命宣告をされている夢をみました。幸か不幸か具体的な数値は思い浮かびませんでしたが、自分では意識していないのに潜在的にそんなことを考えているのか、とちょっと不安になりました。

 さらに、もし仮に「あと1年ぐらいです」と医師から余命宣告をされたら、何をするだろうかと考え、現在の体力でできることは何だろうとベッドの中で少し真剣に考えてみました。

 結局このところ最近よく考えているときめきを感じる人生にするためには、やりたいことをやったほうが良いと思ったからです。

 金儲けや資産倍増は、短期でできればよいですが、その手段も時間も今は思い浮かびません。もちろん健康が一番ですから、健康のために出来ることは今やっているウォーキングやリハビリ体操をより真剣に継続しないといけないなと思いました。

 さらにその上で自分はこれから本当に何をやりたいのかと考えてみると、意外や意外、たいして思い浮かびません。海外旅行に行ってあちこち見て回りたいという気持ちはあります。

 しかし旅行はその時は楽しいですが、いずれ帰ってこないといけません。しかも旅先でその旅行を存分に楽しめるような体力はこれからどんどん減っていくはずです。

 そう思ったら、これまでいつも考えていたように、「行けるときに行った方が良い」という方針は、間違いなく真実だったんだなと思えてきました。

 我が家から車で5分のところに実家があるのですが、そこに87歳になった母親がいます。時々温泉でも行きたいなあと口にするので、じゃあ行こうかと提案するのですが、具体的な計画を詰めようとすると、「体の具合が・・・」と言い出して、なかなか実行できません。

 本人ももどかしいと思うのですが、これは今の私自身の教訓にもなっています。つまり行けるときに行っておかないと、「いずれ行こうと思っても行けない時が来る」というのが現実だという事です。

 一方旅行と同時にやっておかないといけないのではと考えていることが一つ。それは家財の整理。断捨離という言葉もよく聞くようになりましたが、ともかく家の中に不要なものが多すぎます。

 そう思ってここのところ取り組んでいるのが「衣料品の整理」「空き箱の解体」「観葉植物の整理」「雑誌書籍の処分」「不要家電品の処分」等です。

 いずれ私がいなくなった時、息子がそれらの不用品の処分で苦労するのが目に見えていますので、なんとか少しでも減らしたい。

 というわけで、改めて余命が分かった時慌てずに、よしいつでもどうぞ、という気分に浸れるかどうかは分かりませんが、身の回りのことはきちんと整理したいなと思っています。

 という事は身の回りの整理をしながら、時に海外旅行に行くような生活を送れれば、ときめきはないもののそれなりに充実した生活になるのかなと思えます。
 



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