新たな体験を期待して

一歩踏み出す勇気が味わえる旅行(2015.2.1)

 10年ほど前、初めてバンコクに行ったとき、空港の出口にひしめくギョロ目で色浅黒い人たちを見て、それだけで気分が萎縮し、どうしても一人で通り抜けられなかったことがあります。

 旅行に行く前に、様々なガイドブックやネットの情報で、バンコクには様々な詐欺師まがいのことをする人物が徘徊しているので、初心者は十分注意するようにという情報を得ていたからです。

 しかし実はその人達は、何のことはないありきたりの出迎え客だったわけで、よく見れば胸の前にプラカードを持って、自分の客を一生懸命捜しているだけでした。分かってみればどうと言うこともない、日常的な空港出口の風景です。

 ホテルに到着した翌日、ビュッフェ形式の朝食を食べに行ったのですが、会場の入り口がキンキラキンに飾り立てられ、ものすごい高級感があり、「本当にここでいいのか?」と恐る恐る入りました。

 入ってみれば何のことはない朝食会場です。日本のビジネスホテルのビュッフェ形式と何ら代わりがありません。これも入店前に自分で勝手にイメージを作り上げて不安になってしまう証拠です。

 タクシーに乗るときは、バンコクの場合、すぐに乗らずにドアを開けて行き先を告げ、運転手さんの返答を待って乗り込みます。

 これもガイドブックに書いてあるとおりですが、場合によっては値段は交渉性と書かれていて、小心者の私は最初のタクシーを停めるのに、道ばたで逡巡。10台ぐらいやり過ごした経験があります。

 フロントガラスに見える運転手さんの顔つきがみんな凶悪に見えてしまうのも、心理的効果でしょうか。

 さらに、運転手さんに行き先を告げてOKの場合は、9割方の運転手さんは「ウン」と無言で頷きます。

 これが何か怒っているような印象で、「俺は何か変なことを言ってしまったのか?」と最初の頃は悩みましたが、今は要するに「分かりました」という単純な相づちであることが分かっています。

 不思議なもんで、そう思うと凶悪に見えた運転手さん(実は中にはまれに凶悪まではいきませんが、変な人はいます。今まで一番ひどかったのは、赤信号を無視して、一般道を100kmぐらいで走った人が一人いました。これは本当に怖かったのですが、何も言えませんでした)も、初老のおじさんであったり、中年のちょっと生活に疲れたおじさんだったり、若くて元気なお兄ちゃんだったりという様子が見えてきます。

 これまた要するに自分で勝手に結果を悪い方に想像し、「こりゃだめだ」と思いこんでしまう悪癖です。

 初めて食べたタイ料理は、当時の価値観では「臭いがきつくて、とても食べられたものではない」と思っていましたが、その後少しずつ食べる機会があり、食べ始めれば「なんだ、美味いじゃないか」と価値観が変わります。

 すべてに共通しているのは、一歩踏み出す前に悪い結果を勝手に予想して、イメージを膨らませ、心が萎縮して踏み出せないこと。やってみれば「なんだ、こんな簡単なことだったんだ」と思えることが、バンコクでは何回もあります。

 カラオケなんかもそうですね。歌う前は「こんなところで私が歌って良いのか?」「この歌を歌って恥ずかしくないのか?」「あまりの下手くそさに笑われないか」とさんざん悩んで、遂にやむにやまれず1曲。

 ところが歌ってみると、「うわあ、こりゃ面白いや。何であんなに悩んでいたんだろう?」と過去の自分を笑ってしまいます。

 要するにどんなに些細なことでも、新たに一歩踏み出すのは勇気がいりますが、一旦踏み出すと、「なんだたいしたことなかったんだ」と思えることが多いというです。これは旅行をしていると、常に感じることです。

 これこそ未知の領域に向かって常に一歩踏み出すことを強いられる、一人旅の旅行の面白さ(醍醐味)だなということが少しずつ分かってきました。だからこそ、勝手が分かっている国内旅行にあまり行く気がなくなったということだと思われます。


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